北京地下鉄のたびー菜市口駅

2011-12-27

清代末、このあたりは賑やかな繁華街でもあったが、同時に北京の刑場でもあった。繁華街の中に刑場があるのは、中国では古くから見られるもので、刑の執行を民衆に示す効果は大きいものだった。この刑場は、今日の鉄門胡同のやや南西よりの通りにあった。

清朝が鉄道を再建する前に、ほかの省からやってきた人たちが北京に入るためのルートは2つあり、1つは京杭大運河に沿った通州を通る道、もう1つは盧溝橋を通り、広安門から入る道である。広安門をくぐると、そこが菜市口で、この一帯には各省や各県が建てた集会所や商家が立ち並び、明清時代の重要な商業拠点だった。

菜市口の駅から半径2キロ内には、文化的価値のある古い建物が数多くある。徐旧居、南海会館、紹興会館、京報館など。菜市口の刑場の真向かいにある薬局の鶴年堂は長い歴史をもった老舗で、「先に鶴年堂ができ、それから菜市口ができた」という言葉もある。1899年夏、金石学と古文字学の研究者が鶴年堂で薬を調合してもらったことがきっかけで、甲骨文字が発見された。

観光スポット

中山会館

この建物は"珠朝街"という場所にある。"珠朝街"は「街」という名前がついてはいるものの、実はとても短い路地である。しかし、この路地には、雲南、揚州、中山、成都などの会館が数多く建てられ、銭大キン(日へんに斤)や、蒋士銓、紀暁嵐などの文人たちが住んでいた。この中で、最も有名だったのが中山会館である。もともとは香山会館と呼ばれていが、孫文が亡くなった後、中山会館へと改名された。

京報館旧跡

京報館は魏染胡同にある。聞くところによれば、20世紀の20年代にあった新聞社の中で最も有名だったのが邵飄萍が創設した京報館だった。邵飄萍(1886~1926)は、中国の新聞事業の先駆者で、『京報』を創刊した人物である。門の上に掲げられた「京報館」の3文字は邵飄萍自身の筆によるものである。また京報館の南側には邵飄萍の旧居がある。

法源寺

法源寺は北京市内に現存する悠久の歴史をもつ古寺である。645年に建設が始まった。このお寺はライラックの花が鑑賞できることでも知られ、1914年にはここで「100人ライラックの花詩会」が催されたそうだ。文学史上にも顔をのぞかせているお寺である。

遊び

湖広会館

1807年に建てられた中国の伝統的な劇場。元々は湖南、湖北の会館で、当時は政治と文化活動の中心だった。1912年、孫文がここで政治演説を行ったり、国民党成立の大会が行われたこともある。また有名な京劇役者、梅欄芳もこの舞台にあがり、素晴らしい演技を披露した。現在もここは京劇鑑賞の人気スポットである。

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