中国の熱烈なファン3人が語る松山バレエ団(二)

2017-05-25

◆毎日もらったチョコレート

有名音楽家で監督の尹建平さんと松山バレエ団の縁は1975年にまで遡る。

当時19歳だった尹さんは北京芸術団と共に日本を訪問する機会を得た。当時その日本側の接待と全行程のガイドをつとめたのが松山バレエ団の創設者、清水正夫団長だった。

尹さんは、「歓迎レセプションで、清水さんがこう挨拶したことを覚えている。『私は中国を最も愛している日本人で、中国文化を最も愛している日本人でもあり、さらに中国人に謝罪する日本人でもある』と。私たち全員はこの言葉に衝撃を覚えた」と当時を振り返る。

清水氏が確かに中国を最も愛する日本人の一人であることは、その後の彼の実際の行動でもはっきりと感じられたという。清水氏は毎日のように中国の役者たちに食事や宿泊施設、体調を聞いただけでなく、大阪で尹さんが急性胃炎になった際には、清水氏はずっと薬とお湯を手に舞台傍に立ち、尹さんが舞台を降りるとすぐに薬が飲めるように準備をしていたのだという。

清水氏は、「踊っている尹さんの姿が息子のように思え、この中国の若者には特に世話をしたいという思いに駆られた」のだという。

尹さんは、「いつも公演後、清水さんは私にこっそりチョコレートをくれた。このチョコレートの甘さは心にまで染み渡った。代表団が日本を離れる際に、清水さんは全員にプレゼントを用意していた。それだけでなく、私を端の方に呼び、小さな目覚まし時計を手渡してくれ、機会があれば、また日本に来てほしいと言ってくれた。あれから42年経ったが、あの目覚まし時計は今も大切にしている」とした。

人民網日本語版

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