手塚治虫と孫悟空の「縁」

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手塚治虫は日本近代アニメ産業の開拓者で、「漫画の神様」と呼ばれている。鉄腕アトムの生みの親である手塚治虫は孫悟空にも強い思い入れがあり、「アトムの飛んだり、戦ったりする姿の原型は孫悟空」と話したこともある。(文:楊暁林。文匯報掲載)

上海美術映画製作所は1950年代と60年代に最盛期を迎え、各種形式、スタイルのアニメーション映画が成熟していった。同時期、日本のアニメは初期段階で、アニメクリエイターも中国のアニメを熱心に参考にしていた。手塚治虫もその一人で、漫画作品「ぼくのそんごくう」は、52年から59年にかけて、少年漫画誌「漫画王」に連載された。そして、一世を風靡し、日本のギャグ作品の先駆けとなった。「ぼくのそんごくう」は中国 明代の小説「西遊記」をリメイクして漫画化した作品だ。



また、手塚治虫が直接影響を受けたのは、中国初の長編アニメーション映画「西遊記 鉄扇公主の巻(原題:鉄扇公主)」で、手塚治虫は以前、取材に対して、「13か14歳の時、1942年ごろに、万籟鳴(ウォン ライミン)監督がメガホンを握ったアジア初の長編アニメーション映画『西遊記 鉄扇公主の巻』が日本で初めて公開された。当時、私は中学生で、幸いにもそれを見ることができた。その作品には強い印象を受けた。同作品の上映は大盛況で、毎回映画館の廊下まで観客で満員になるほどの人気だった。日本語に吹き替えられ、当時一番有名だった芸能人が声優に起用されていたため、観客もその内容をよく理解することができた。大人、子供、アニメのプロ、素人までが夢中になるという状況は、当時のディズニーも経験したことがない状況だった。これが、私がアニメを作りたいと思うようになったきっかけ」と話したことがある。

「ぼくのそんごくう」は1960年にアニメ化され、アニメ史上初の長編ギャグアニメ映画「西遊記」が製作された。そこには現代の言語や要素がたくさん盛り込まれ、その斬新な設定が日本でリメイクブームを巻き起こすきっかけとなった。そして、多くの人がリメイク作品を競うように製作し、日本のアニメの幅が広がり、独特のスタイルを築いていった。67年には、「ぼくのそんごくう」を元に作られたテレビアニメ「悟空の大冒険」が放送され、当時を代表するアニメとなり、中国のドラマ「春光燦爛猪八戒」やアニメーション映画「紅孩児大話火焰山」など、「西遊記」を元にした、日本と中国のリメイク作品ブームの基礎を築いた。例えば、中国の映画「大話西游」のひな型も「悟空の大冒険」だ。

手塚治虫は中国の連環画(一連の物語を1ページ大の挿絵と見出し文で表現する掌サイズの絵本)の文化を学ぶために、何度も中国を訪問した。80年11月、日本アニメ協会の会員として中国を訪問し、上海美術映画製作所を見学したこともある。また、88年に上海で第1回国際アニメフェスティバルが開催された際、手塚治虫は、ずっとリスペクトしていた万籟鳴監督と会うために足を運び、厳定憲監督と共にアトムと孫悟空が時空を超えて握手するイラストを製作した。当時、手塚治虫は胃癌を患っていたものの、同フェスティバルの審査委員を務めた。

手塚治虫は日本に戻ってから、「ぼくのそんごくう」をベースとした作品の製作に着手した。手塚治虫にとって、同作品が遺作となった。同アニメの表紙には、「ぼくは孫悟空」と書かれている。手塚治虫が同作品に込めた意味について、手塚治虫の友人である手塚プロダクションの松谷孝征氏は、「万監督を訪問した後、彼は自分がこの世をもうすぐ去らなければならないことを悟った。『ぼくは孫悟空』を完成させて亡くなる前に、彼は万監督に『行きます』と挨拶した」と明かす。残念ながら、帰国からわずか3ヶ月後に、手塚治虫はこの世を去った。

89年8月、手塚プロが製作し放映されたテレビスペシャルアニメ「手塚治虫物語 ぼくは孫悟空」は、手塚治虫の遺作の一つとなった。同アニメでは、同年代の子供からいじめられていた少年の手塚治虫が『西遊記 鉄扇公主の巻』のおもしろさに胸をときめかし、漫画映画に憧れる彼の胸中に、自分だけのイメージを託したオリジナルの孫悟空が誕生する様子を描く。戦争中、漫画に夢中になっていたため暴力を振るわれることもあったものの、自分の夢に共感してくれる岡本京子に出会う。しかし、岡本京子は爆撃で行方不明になってしまう。その後、精神的な支えとなってくれていた孫悟空の励ましもあり、手塚治虫は漫画を書き続け、「漫画の神様」になる。そして、中国に来て万籟鳴監督と出会い、感激する。同作品の後半は、西暦3010年の銀河系サファイヤ星を舞台にした新発想のSF版孫悟空ら4人が牛魔王と対決する様子を描いている。

手塚治虫と中国の「縁」は、「西遊記 鉄扇公主の巻」に始まり、「ぼくは孫悟空」で終わり、その中心はずっと「孫悟空」というキャラクターだ。孫悟空は手塚治虫と一緒に、中国文化と日本文化を超えて、独特であり、永久に魅力を発信し続ける文化的なシンボルとなっている。


「人民網日本語版」より

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