北京・什刹海の昔と今

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什刹海は後海とも呼ばれ、北京市内の中心地帯に位し、南から北へ前海、後海と西海という三つの湖からなる。什刹海の南側には北海公園と中南海があり、北は第二環状道路の北部分の徳勝門あたりと接する。数十年前、このあたりには積水潭というさらに大きい湖もあったが、時代の流れによってなくなってしまった。今は什刹海だけが残され、北京の変化と発展を静かに見守っている。



千年の歴史を持つ都市である北京では、かつての多くの栄枯盛衰はすでに歳月の中に消え去り、厚い歴史書にそれらすばらしい時代が記されているだけだ。後の人々に感じられ、触れられる形で残されたのは、レンガの破片や、かつては北京にあふれていたが、今日ではますます少なくなってきた胡同(横丁)だけだ。北京に来た地方の人が北京の純粋な民風や方言を感じたいならば、胡同に行けばよい。什刹海一帯は現在の北京では胡同が最もよく保存された地区である。特に前門一帯で大規模な再開発が行われたため、北京の胡同を見たいならば、おそらく什刹海一帯より良いところはもう無いだろう。

什刹海周辺の胡同はほとんど鼓楼古建築保護地帯にある。ここは北京の重点保護胡同区域の一つではあるが、近年来やはり再開発の影響を少なからず受けている。鼓楼近くでは道の拡張のために一部の胡同は消え去り、筆者が三年前に撮影した胡同の一部はもう今日では見ることができない。

しかし、北京の歴史はこのような興亡の繰り返しの中で発展してきたのではなかっただろうか。古い文明を持つ都市は保存と発展の中でバランスをとらなければならない。町の記憶をとどめると同時に、現代の市民生活を満足させるインフラも整えなければならない。これは北京の市民と都市管理者が直面しているきわめて困難な任務だと言えよう。

任務は困難だが、北京にいると自然に美しい感じが湧いてくる。この感じは北京に来たことのない人、胡同をそぞろ歩いたことのない人には理解しがたいかもしれない。ちょっと一緒に什刹海を一周してみよう。

午後、北海北門でバスを降りる。北京の伝統的な人力三輪車に乗るのもいいだろう。車夫は純粋な北京語で什刹海あたりの胡同を紹介してくれる。だが、値段のかけあいが必要。一人でのんびり歩くのもいいものだ。西に向かって少し行って三座橋胡同に入り、古い目隠し壁を見ながらそぞろ歩くと前海の西街にでる。道の両側は古い胡同だ。さらに西へ行けば、柳蔭街に着く。ここには北京で最もよく保存された恭王府があり、一見の価値がある。この北京でも比類のない庭園は大金持ちの和珅(乾隆15年[1750]~嘉慶4年[1799])の邸宅だったが、咸豊(在位1851~1862)年間に恭親王の奕欣に譲られ、恭王府と名付けられた。それを見学してから、三座橋胡同に戻り、羊房胡同に沿って西海に来る。さらに橋を渡って後海の北側に行く。そこには宋慶齢の故居がある。さらに東へ行けば、望海楼、大蔵竜華寺、広化寺など園林と古建築が見える。これらの所を見学し終わったら、もう日が西の山に沈むころになる。この時間に、もしちょうど銀錠橋に着くと、一番運がよい。橋の上に佇み、西に向かって赤い日が西の山の後ろに落ちる光景を見ていると、幸せな気分が湧いてくるだろう。まるでこの什刹海を漂っているような感じだ。これが北京八景の一つ「銀錠観山(銀錠橋で山を見る)」である。ほどなく夜のとばりが降り、美しい街灯がともり、人出も多くなる。そうだ、什刹海の夜が始まったのだ。

十年前、北京の三里屯は次第に中国でも有名な酒場の街となったが、これは、近くにある大使館区の多くの外国人がその発展を大いに推し進めたといえよう。しかし、2003年から地元の若い人々は什刹海あたりのおしゃれな酒場を好むようになった。酒場は前海の西辺の荷花市場から始まり、その後次第に銀錠橋を越えて西海の南岸に広がっていった。こうして煙袋斜街は瞬く間に有名になり、現在の銀錠橋を中心とした湖面や周りの胡同へ発展していった。さらに鼓楼街を隔てた南鑼鼓巷あたりも呼びかけに答えるように酒場やコーヒー・ショップが発展し、北京の新しい酒場産業地区となったのだ。


「中国網」より

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