北京・「炒豆胡同」にある歴史にまつわる建物

2017-10-20

「炒豆胡同」は南鑼鼓巷南口の東側にある最初の胡同。その西口からそう遠くない77号門の傍に、「東城区重点文物保護単位」の看板が掲げられ、上部には「僧王府」と書かれている。僧王府とは清代の僧格林沁の邸宅。もともと僧王府の規模は大きく、前門は炒豆、後門は板厰と、2つの胡同にまたがっていた。中、東、西の3路があり、それぞれに4つの中庭がある。東路には正院のほか、4つの中庭のある東院があり、非常に大規模な建築群だった。

中華民国後、屋敷は親王の末裔によって1つひとつ競売にかけられ、多くの住まいに分割されてしまった。現在の炒豆胡同71-77号(奇数号)、板厰胡同30-34号(偶数号)はいずれも王府の敷地だった。

炒豆胡同の西口は、僧格林沁家の祠堂で、大規模な建築物だった。祠堂と王府が1つの胡同に建てられたのは、清代では珍しいことだ。現在は「侣松園賓館」。静寂で優雅、古色蒼然とした四合院(中央の庭を囲んで4棟からなる家屋)型のホテルは北京でも余り見られない。

「中国網」より

中国網

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