北京・三山五園、「万寿山&清漪園」編

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三山五園は北京西郊辺りにおける皇室行宮の総称であり、康熙時代から乾隆時代の間に続々と建設されたものである。北京西郊は名勝地が集まるエリアなので、各時代の王室もこの地で行宮、別苑を作ったことがある。乾隆時代は首都の用水需要に供するのに玉河の水量を増やす必要があったため、西山の水系を大規模に整頓することがあった。

万寿山



万寿山は燕山の分支であり、高さ58.59メートル、標高108.94メートルで、昆明湖に面している。清初、ここは宮廷の馬の飼育場とされたことがある。乾隆十五年になると、皇太後(皇帝の母)六十歳の誕生日を祝うため、園静寺の旧址で大報恩延寿寺を立てることとなった。翌年、その山も万寿山に改称することになり、昆明湖開発用の土を以前の分布により山に積め、東坂と西坂を穏やかで対称的にし、全園の主体と変えた。建築群は山に沿って作られ、現存のものは英仏連合軍に破壊された後、慈禧太后の命を奉じて建て直したものである。

今の万寿山は、元の時代に瓮山と呼ばれていた。伝説によると、ある老人がその山に宝物満載の石瓮を掘り出したことから名付けられたという。山の前には瓮山泊と呼ぶ湖がある。万寿山は広大な建築を持ち、漢白玉造の釣り台は湖の中心へ延び、元の皇帝はよくここで小船に乗ったり、釣ったりしていた。

清漪園(頤和園)



北京北西市街に位置する当園は、290ヘクタールの面積を持ち、その北部にある瓮山(後は万寿山と改称された)は約三分の一を占め、山と水が結びつき、水を主体とする自然山水園である。1750年起工し、1764年に竣工された。北部の万寿山は独立峯が聳える形を取り、その上には点景の建築がたくさん点在し、南は昆明湖を望み、広幅の観賞範囲になっている。1860年、清漪園は英仏連合軍により壊し尽くされた。光緒時代の中葉、慈禧太后が二千万両の白銀を以ってこの園を修復に投じ、1888年に当園は完成され、基本的にもと清漪園のパターンを保ち、頤和園と改称された。

頤和園は伝統造園芸術の成果を極め、周囲の山水環境を借景し、自然の楽しみに満ちている。万寿山、昆明湖はその基本な枠となし、300.8ヘクタールを占め、その四分の三が水面であり、園内には点景の建築が百余り軒と、20数箇所の庭が存在し、その内、仏香閣、長廊、石舫(石の船)、蘇州橋、十七孔橋などは既に知り渡す代表的な建築になっている。


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