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「伝統医薬」、益徳成の嗅ぎくすり

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「琵琶に近い金色の粉に挽き、嗅くと香りの煙が立ち、海から客は高値で販売し、官僚たちは仕事の後で楽しむ。」清の時代、嗅ぎたばこは流行り、宮廷において、「黄金の入手は簡単、嗅ぎたばこの入手は難しい」という言い方があります。

明の万歴年間、イタリア伝道師のマテオ・リッチは嗅ぎたばこを持ち、中国に入りました。嗅ぎたばこ伝来の初期、宮廷、官僚、貴人たちの御用達になり、民衆はその名しか知りませんでした。その用途は贈答品として友人に贈ること、もしくは来客を招待することになり、友情と尊敬の意を表すものとされました。



嗅ぎたばこは嗅ぎくすりの一種とされ、嗅ぎくすりは鼻で嗅くという手段によって効果を発揮する薬品とされます。1710年、天津估衣街東頭鍋店街1号で、益徳成嗅ぎくすり屋が誕生し、初代の張国成によって嗅ぎくすりの生産、経営が行われました。この時期で、その嗅ぎくすりは天津、北京において名をあげ、天津、北京の多くの京劇従業者、遊牧民と貿易する外地の商人に購入され、品質が最も高い品は宮廷の御用達とされました。

二代目の張雲錦は先代の長男で、先代の嗅ぎくすり製作の技術を学べ、店を経営する際は、モンゴルまで販売ルートを広げ、中国の一部の代理店に通じ、周辺諸国に販売し、商売の規模を素早く拡大しました。

張雲錦は伝承された技術をその長男、三代目の張仲達に授けました。張仲達が店を経営する際、経営の範囲、製作技術は飛躍的な発展を遂げました。

張仲達の三男であり、四代目の張学良になると、店の業務を兄弟たちに分けました。彼は製作技術の伝承を担当しました。1919年まで、店の販売量は30トンに達し、そのブランドは全国範囲で拡大していました。

中華人民共和国成立前、店の製作技術、経営の権利は五代目の張園麟に伝われました。張園麟は16歳から家族が司る「益徳成」の商売を携わり、製作技術を学びました。彼は最も複雑な社会背景に臨み、文化大革命初期における張氏が256年に渡る嗅ぎくすりの家族経営の中断を経験しました。

20世紀80年代になると、張園麟は製作の再開を図り、観光地、骨董品街で販売を試み、さらなる発展の機会を求めました。

2006年、医薬業を従事した馬衛東は張園麟に弟子入りを果たし、六代目になり、すでに40年間中断した製作を再開しました。張園麟はその技術と保存された250キローの嗅ぎくすりを馬衛東に授けました。その指導の下で、馬衛東はその技術を整理し、伝統的な制作法に従い、生産を試み、将来的な規画を行いました。

2014年12月3日、益徳成嗅ぎくすり制作技術は中国国家級無形文化遺産代表名録の「伝統医薬」というリストに収まれ、幾度の天津市観光記念品意匠と設計コンテストの入賞を果たしました。古文化街、鼓楼商業街で、総本店を設け、中国と海外の観光者に中国歴史文化の魅力を示します。

天津市紅橋区西沽公園の中の中国伝統医薬益徳成嗅ぎくすり文化館に入ると、中国国家級無形文化遺産の益徳成嗅ぎくすりの伝統的な製作工芸、100年以上に渡る老舗の伝承、発展を知り、嗅ぎくすりが中国伝統医学における重要な地位、役割を体験できます。


「天津旅行網日本語版」より

天津旅行網日本語版

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