かつて「龍の鼻」とも呼ばれる「天橋」

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かつて「龍の鼻」として北京の中軸線を守り、龍須溝を跨った「天橋」は消えてからの80年後、2013年12月に再び人々の注目を集めました。史料の記載によると、天橋は明・清時代の皇帝が天壇で天を祭る際に、必ず通る道でした。天を祭る際の皇帝通行路という意味から、天橋と名付けられました。以降の歴史の変遷のなかに、天橋は何度もの改築を経たが、全般撤去された1934年に、「有名無橋」の時代に入りました。

新規建築した天橋は天橋南大街と天壇路が交差する南側の緑化地域に位置されるが、古い天橋は永安路と天壇路が交差する場所、つまり実の中軸線の上に構えられました。この地域で確かに橋があったことは考古学者にも実証済みがが、交通に影響を与えないように、天橋は南へ40、50メートルほど移され、緑化地域で再建されました。新築された天橋は一つの青白石景観アーチ橋と二つの石碑からなっており、景観橋は長さ14.4メートル、最大幅8メートル、内部直径4.48メートルのみです。

「南端の正門より北へ行くと、ほぼ対称している天壇と先農壇の建設物が中軸線の左右にあります。軒を連ねる長い大街を通り、珠市口の辻に至ると、内城における初の重点地——雄大なる正陽門楼に向かいます。長さ百メートルに伸びる門前の辺りでは、大きな牌楼と石橋が道路を遮って、この初の重点地に対して前衛の役を果たしています。」と梁思成先生のこの記述には、北京中軸線の配列を詳しく記載して、天橋こそがこの軸線にある重要な継ぎ目の一つだということが分かりました。

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住所:北京市西城区天橋南大街

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