光緒帝の意地、「頤和園」の三文字を書くために

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「東宮門」は頤和園の正門であり、三つの明るくて、二つの暗い廡殿頂(寄棟造)からなっています。中央の正門は皇帝や皇后の出入りに供され、「御路」と呼ばれています。両側の問洞は王公大臣の出入り供され、宦官、兵卒は南北の両側の潜り門から出入りします。門の軒下では光緒皇帝宸筆の書いた扁額が掛かっています。光緒皇帝は頤和園の三字を書くために、師を訪ねることを惜しまずに勉強したといいます。

そして、次のような面白い話も残っています。西太後は頤和園を復旧した後工部に東宮門に飾るために、大きな扁額を書くように指示しました。工部大臣は昇進のために、光緒帝に手伝いを求めたのだが、結局「頤和園」という三つの文字は歪んでおり、みっともないほどでした。仕方なく大臣たちはそのまま扁額にしましたが、翌日、この扁額を見た慈禧は、激怒し、すぐにこの扁額を取るように命令しました。

このことを知った光緒帝はメンツを失ってしまい、書道の修行を決意したのです。しかし、数日経っても、上達の気配が全くに見えませんでした。そこで、「臣から見れば、閉門して修行するより師を訪ねて勉強するほうが増しではないのですか」と、大臣から諫言されたのでした。

大臣の勧めによって、光緒帝は当時著名な大工王永福先生の下で修行しました。先生の心のこもった指導のもと、光緒帝は勉学に慎み、ついに書が上達しました。頤和園の三字も光緒帝の筆頭で雄渾です。ついに、九竜金扁額は再び東宮門に掛けられたのでした。

東宮門前の両側にはそれぞれ1羽ずつの銅獅があり、そして雌雄に分かれています。雄獅の右爪はボールを挙げているため、「狮子滚绣球(ライオンはボールを遊ぶ)」と名付けられ、雌獅の左爪は幼い獅を踏んでいるため「太師少師」と呼ばれています。前方の東宮門の楼門を通ると、山紫水明が見えてきます。それは心を晴らすような境地に人々を連れて行くでしょう。


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