故宮の中軸線にある宮殿

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建物自体も文化財の故宮博物院、またの名は「紫禁城」。中国の古代建築において重要な位置を占め、北京観光にはなくてはならないスポットで、そこにある建物にていてもっと深く知りましょう。

紫禁城の中で地位が一番高い宮殿

「太和殿」は紫禁城の中で地位が一番高い宮殿で、民間でいわゆる、金銮宝殿のことです。明の永楽時代に建てられ、その後、災害に遭って、何回も再築されてきました。明の嘉靖時代からその名は「皇極殿」に変わりました。満族が都を北京に移した後、今の名前になりました。太和殿という名には、天下調和の意義が込められています。今の太和殿は清の康熙時代に再築されて残されたものです。



太和殿は紫禁城の中でも規模が一番大きく、レベルが一番高い建築物です。そのレベルの高さや、装飾の精巧さは中国の古代建築の中でもトップだと言われています。屋根の両側には高さ3.4メートルの龍の像があり、他にも10体の野獣像が立っています。宮殿の内外には千万本の金色の龍が描かれています。これらは全て良好な状態で保存されており、古代建築の中でもユニークです。太和殿の前には広い月台があり、「丹陛」と呼ばれています。月台の上には、日時計、嘉量(量を測る際に使用する道具)、銅亀、銅鶴、銅鼎が並べられています。これらのものは、皇帝の権力が至高であると統治が末永く続くということを象徴しています。宮殿の下には三段の漢白玉で作られた石で彫刻された台座があり、欄干が囲まれています。欄干の下には、排水するための石製の龍頭があり、雨が多いときは、千本の龍が同時に水を吐くという絶景が見られます。

太和殿は明、清両時代の皇帝が即位、結婚、出征の命令や祭日の祝賀など盛大な儀式が行われた場所で、紫禁城の中央にそびえ立っています。京城の中軸線の石の彫刻には龍の模様が描かれており、皇帝の王座から皇帝専用の道である御路までを貫いています。盛大な式典が行われる際に、皇帝が王座に座り、天下に君臨し、貴族や大臣たちの礼拝を受けることで、その威厳と高貴さを示します。

何回も壊されて再建された中和殿

「中和殿」は太和殿と保和殿の間にあり、明の永楽時代に建て始められました。最初は「華蓋殿」と呼ばれたが、その後何回も壊されて再建築されました。明の嘉靖時代に再建した後に「中極殿」という呼び名に変わりました。清の時代に順治皇帝が紫禁城に引越した後、「中和殿」と名付けられました。中庸の理念に従い、和やかな天下を願うという意義がその名に込められています。



中和殿の中には美しい彫刻と多彩な絵、金色の扉や窓があります。門や窓の形は古代の「明堂」からヒントを得て作られたということです。真ん中には王座が置かれています。「閲微草堂筆記」によると、日の出の時、金色の光が中和殿の屋上から放出され、数千メートル以外の灯市口の東にある二郎神廟まで届いたので、人々を驚かせるほど美しい景色でした。。

明の時代、中和殿は皇帝が、親王や大臣たちと共に宴会を行った場所とされていました。崇禎皇帝はここで「蓮花宴」という宴を設け、花瓶と同じ大きさの金蓮花グラスで大臣とお酒を飲むという逸話も伝わっています。

清の時代に、中和殿は皇帝が太和殿で式典を行う前の休憩所となり、ここで大臣たちの礼拝を受けます。また、祭りの儀式の前に、祝辞や報告をチェックするなどの作業を準備する場所としても利用されていました。


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