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故宮の内廷の東側にある宮殿

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故宮の内廷の東側にある宮殿から、景仁宮と永和宮を紹介しましょう。妃たちに関する物語が多く、宮廷で暮らす女たちの生活っぷりが窺えます。

景仁宮

景仁宮は、元々「長安宮」と呼ばれ、1420年に建てられました。嘉靖の時代に「景仁宮」という呼び名に変わり、1655年に再修築されました。「景仁」という字には広い仁愛の意味が込められています。景仁宮は二進院の構造をしており、初めて建てられたままの状態で保存されています。景仁宮門の外には白玉石の照壁があり、元の時代から残ってきたものとされています。



明清両時代、ここは妃の住まいでした。注目すべきなのは、佟佳氏が1654年の3月にここで玄燁を生んだということです。玄燁はその後、清の時代に偉大な康熙皇帝になりました。それ以外にも、雍正皇帝の熹貴妃、つまり乾隆皇帝の母親や光緒皇帝の珍妃も景仁宮に住んでいたとされています。

今、ここは故宮博物院に寄付された文化財を展覧する場所として利用され、「景仁ランキング」というランキングが設けられ、景仁宮の名に込められた「仁徳を景仰する」の意味を借りて、故宮博物院に文化財を寄付する各業界の人々への感謝の気持ちを示しています。

永和宮

永和宮は内廷の東にある六宮殿の一つで、景陽宮の南にあります。1420年に建てられました。元々は「永安宮」と呼ばれていたが、嘉靖時代に「永和宮」に変わりました。永和宮という名には、「末永く平和が続く」という意味が込められており、西の六宮殿の長春宮と対応しています。



永和宮は二進院の構造をしており、明時代に建てられた状態で保存されています。明時代、永和宮は妃の住まいとして使用されていました。清の時代も同じように住まいとして利用されていたそうです。前部の正殿は広さが五間に相当し、また、室内の額に飾られている「儀昭淑慎」という字は乾隆皇帝が書かれたものです。「淑慎」という字は謹みと優しさという意味です。

清の雍正皇帝の母親、孝恭仁皇后は永和宮に住んでいました。雍正皇帝が即位した後、彼女は皇太后の尊号を断り、皇太后が住むべき場所とされている慈寧宮に引越しすることも断りました。これは一部の研究者に雍正皇帝が「皇位を奪った」証拠とされました。道光時代に、永和宮は静妃(恭親王の母親)の住まいとして使用されていました。


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