北京観光の公式サイト・北京旅行網-北京市観光発展委員会が運営する非営利的なウェブサイト

世代の異なる中国の訪日留学生、勉学で国に恩返し

1531440452

改革開放以降、日本は中国人留学生から特に注目されてきた。日本学生支援機構の調査結果によると、2018年の日本における外国人留学生のうち、中国大陸からの学生が10万人を突破し、全体の40%を占めトップとなった。中国網の記者はこのほど、世代の異なる日本留学経験者3人を取材した。彼らの物語から時代の発展の脈動、愛国学生の心情を実感することができる。中国網(記者・呉瓊静)が伝えた。

「ゼロからのスタート」を恐れぬ名門の子

1960年代生まれの周牧之氏は88年に日本に留学した。現在は東京経済大学教授、対外経済貿易大学客員教授、中国科学院客員研究員。旧国家機械工業部での勤務歴を持ち、日本の国際開発センター主任研究員、財務省総合政策研究所客員研究員、米マサチューセッツ工科大学客員教授を歴任。

周氏は改革開放から間もなく日本を留学した中国人だ。祖父は『暴風驟雨』で有名な作家、周立波だ。名門の子という栄光、公務員という安定した職業を持ちながら、周氏は日本留学でゼロからのスタートを選択した。ゼロから日本語を学び、さらには新たに経済学を専攻し、東京経済大学経済学博士号を取得した。周氏は笑い、「私は当時すでに機械学部で成果を手にしていたが、なぜ訪日を選択したのか理解できない人が多かった。私は自分が若く、ゼロからのスタートを恐れる必要はないと感じていた。他の人ができるのだから、私にできないはずがあるだろうか」と話した。

周氏は日本での生活を振り返り、学費を稼ぐため高圧線を架設し、学校周辺で警備員として働き、さらにセブン-イレブンでアルバイトをしたと話した。日本語が上手ではなかったので、店はレジに立たせず商品陳列だけをさせていたという。周氏は今や日本経済界の風雲人物として、セブン-イレブンの社長からも賓客として招かれるようになった。

周氏は日本で長期的に、産業・地域・都市・空間政策及び計画の研究と策定に従事している。「東京湾岸再開発計画」「東京臨海工業地帯開発計画」の策定に参与した。周氏はこれらの貴重な経験とトップクラスの国際チームを携えて帰国し、「吉林省地域総合開発計画調査」「江蘇省都市化発展戦略」「中国大都市群政策研究」「鎮江長山生態文明新城総合計画」など一連のプロジェクトを計画・実施した。周氏はチームを率い、2016年より国家発展改革委員会と「中国都市総合発展指標」叢書を出版している。本書は新発展理念を中心とする、中国初の権威性・総合性・操作可能性を一体化させた都市発展評価指標だ。今や国内都市化政策・計画の策定、人材育成計画が周氏の事業発展の重心になっている。

周氏は、自身の留学時代と事業発展は、改革開放後の中国の都市化と時期的に呼応すると考えている。80年代前半に訪日した際に、中国の月給はまだ100元未満だったが、日本でアルバイトをすれば時給70−80元になった。今や中国は世界屈指の市場になり、各業界に無限の商機が潜んでいる。周氏は、中国は現在も依然として隣国に学ぶべき多くの部分があると考えている。若い留学生は日本で先進的な技術を学ぶほか、さらに日本の企業管理、社会ガバナンスなどの先進的な理念と貴重な経験を学ぶべきだという。

中日経済・貿易交流に尽力した早大卒業生

80年代生まれの裴涛氏は2006−14年に日本で留学し、早稲田大学大学院環境・エネルギー研究科修士課程を修了した。現在は中国国際貿易促進委員会中日韓企業交流センターで勤務している。

裴氏は学生時代、日本の明徳義塾高等学校の教員や学生と交流した。日本人との交流はこれが初めてだった。「この交流から深い印象を受け、高校から日本に留学することを考えた」裴氏はこの選択ができたのも、改革開放後の柔軟な海外留学制度のお陰と考えている。

裴氏は日本で修士課程を修了するまで、早稲田大学中国留学人員友好連誼会会長を務めていた。名門校の人気の専攻を修め、日本で高給の仕事を見つけるのは難しくなかった。しかし裴氏はためらうことなく卒業後すぐに帰国し、中国国際貿易促進委員会中日韓企業交流センターに就職した。裴氏は次のように話した。帰国を選んだのは、外国にいると放浪しているようで落ち着かず、それから事業の発展という重要な理由もあった。日本の社会・経済発展は成熟期に入っており、日本で就職しても普通の会社員にしかなれなかっただろう。しかし帰国すれば異なる。経済規模の急成長、モデルチェンジ・アップグレードが、大きなチャンスを生んだ。私はよく中国の中小企業を集め訪日し、現地の企業と商談することがある。中国側の日本側への最大の需要は環境保護と介護で、特にその先進的な技術と管理方法となっている。日本の中小企業経営者も、中国市場を非常に重視している。私が今取り組んでいるのは、双方の需要を効果的にマッチングさせ、相互補完を促すことだ。

日本留学の8年間で、中日関係は紆余曲折を経て、中日間の経済的なパワーバランスにも変化が生じた。中国のGDPは2010年に日本を追い抜き、2位になった。裴氏は「訪日したばかりの頃は物価が不慣れで、日本のいたるところが先進的と感じた。今や北京に戻ると、生活水準が東京とほとんど変わらないことに気づく。訪日留学生である私は、改革開放による経済成長の成果を実感している」と話した。

裴氏は「留学生活から得た最大の収穫は、日本人のきめ細やかな働きぶりが骨の髄まで浸透したことだ。私はこれを、中国人の大胆な発想を実行に移す向上心あふれる精神と結びつけたい」と語った。裴氏は未来の活動計画について「創業は中国経済発展の新たな動力の一つだ。日本には多くの家族企業があり、若い継承者がいる。中国には多くの創業者がおり、彼らは創業の世代だ。中日両国の青少年ビジネスリーダーの交流促進に尽力したい」と述べた。

中日文化交流に身を捧げる音楽家

田瀟氏は80年代生まれで、2014−17年に日本で留学した。洗足学園音楽大学電子オルガンコースの修士課程を修了し、同学院の首席演奏家の栄誉を授かった。現在は国内で創業し、オンライン・オフラインの音楽教師として、電子キーボードの編曲・創作・演奏を教えている。

田氏は「日本の流行文化というと、初めに思い浮かぶのは日本のアニメ・マンガだろうが、実際にはJ-POPも日本文化に彩りを添える宝石だ。電子オルガンはポピュラー音楽を創作し演奏するための武器になる」と述べた。J-POPが好きなことから、田氏は中国で大学を卒業すると日本に渡り、電子オルガンの修士課程で学ぶことを選んだ。

田氏のコースには当時、外国人留学生が2人しかおらず、他は全員が日本人だった。田氏は常人には想像もできないほどの努力によって、同コースで唯一「首席演奏家」に選ばれた卒業生となった。「諦めようと思ったこともあるが、頑張り抜くことができた」

田氏は、国内の文化・音楽産業の発展チャンスは、日本では比較にならないほど多いと考えている。改革開放から40年が経ち、多くの国民の生活水準が向上し、精神文化の需要も日増しに拡大している。田氏は、日本の有名音楽家の窪田宏氏が中国で講演した際に通訳を担当し、現場を訪れた観客の数と熱意に驚かされたと振り返った。「電子オルガンの愛好家が今やこれほど多いとは思わなかった」田氏は、これは中国と海外の文化交流の広さと深さが非常に高い水準に達していることを意味するが、そのすべてが開放政策のお陰だと考えている。また文化産業の力強い発展、対外交流の頻繁化により、海外から帰国した音楽家は才能を発揮する環境を手にした。「この偉大なる時代に身を捧げ、文化を跨ぐ交流の使者になり、中国のポピュラー音楽の発展水準を高めるため貢献できることを幸運に思っている」

これは改革開放から40年に渡る、世代の異なる3人の日本留学生の物語だ。中国の対外交流が日増しに密接になり、開放の扉が大きく開かれるに伴い、より多くの若い留学生が海外に進出し、学んだ知識を祖国に持ち帰り、改革開放の偉大なる楽曲のため生き生きとした楽譜を書き続けることだろう。


「新華網日本語版」より

新華網日本語版

おすすめ

このサイトについて|お問い合わせ•ヘルプ

Copyright@2002-2018 www.visitbeijing.com.cn,All Rights Reserved