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中国人の「臘八節」の風習と北京雍和宮の「臘八粥」

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今日は中国の伝統的祭日「臘八節(ろうはちせつ)」。この日を過ぎると、年の瀬のムードがぐっと盛り上がり、春節(旧正月、今年は1月25日)を迎える準備がスタートする。「臘八」をめぐる全ての風習の中心となるのは、「臘八粥」を食べる習慣だ。清の光緒年間(1875年 - 1908年)、北京最大のチベット仏教の寺・雍和宮で作られる「臘八粥」は、「北京の絶品」と称された。皇帝は、特別に司官を派遣し、「臘八粥」作りを監督させたという。中国新聞網が報じた。

●1千年超の伝統を誇る「臘八粥を食べる」習慣

最初は貧困者への施しが目的

「臘八節」という言葉を聞いて、ほとんどの中国人が頭の中にまず思い浮かぶのは、「臘八粥を食べる」ことだろう。「臘八粥を食べる」習慣は、中国ですでに1千年以上前から続いており、宋代に始まったといわれる。毎年旧暦12月8日が来ると、朝廷、官府、寺院は言うまでもなく、一般庶民も必ず「臘八粥」を食べた。清代に入ると、「臘八粥を食べる」風習は、盛んに行われた。



「臘八節」にまつわる、「オールド北京」の風習の多くは、清代から始まっている。だが、最も初期には、「臘八粥」は貧困者への施しを目的としたものだった。年の瀬が迫っても、食べ物がない貧困者に、鍋の蓋や縁を掃除した時に出てきた米をお粥にして施したことが、長い年月を経て風習となり、それが官府、宮廷、寺院にまで伝わった。

長い時間を経て、風習もだんだんと変わってきた。それにつれて、「春節の訪れを知らせる臘八粥」「臘八が終わると新年」など、臘八にまつわることわざも続々と誕生した。年越しを壮大な「シンフォニー」に見立てた場合、「臘八」は、第一章の「前奏曲」に相当し、「年越し」の序幕が開く。また、「臘八粥(八宝粥とも呼ばれる)」には、「五味(酸味、甘味、苦味、辛味、塩味)」が全て揃っている。「八宝」には、「縁起が良い」という意味があるが、五味には苦味も含まれる。これは、「臘八節」と貧困者との関係を示すものであり、だんだんと現在の風習が出来上がってきた。

●雍和宮の「臘八粥」は「北京の絶品」

「臘八粥」作りを監督させるため、皇帝が特別に司官を派遣

「臘八粥を食べる」「祭祀を執り行う」などの風習のほか、「臘八粥を配る」習慣も、北京で清末から民国初年まで続いていた。当時の北京には、かなり多くの寺院があり、城内外で数百に上った。市民が幸福を祈願し、互いに交流する場所であった寺院は、風習の拡大に非常に大きな役割を果たした。光緒年間、雍和宮が作る「臘八粥」が大いに名を馳せ、「北京の絶品」と称えられた。大きな鍋で一度に50キロの米を煮ることができた。また、皇帝は、特別に司官を派遣し、「臘八粥」作りを監督させた。このころ、「臘八粥」は旧暦12月7日に作らなければならなかった。弱火でコトコトと煮込み一晩置き、翌日、人々に配られると同時に、寺院の神仏に奉納された。これは、「臘八粥」の風習の中でも、最も大切な行事であり、ひとつは「幸福を願う」、もうひとつは、「貧しい人々の存在を忘れない」ことを皆に思い出させるという意味が込められていた。



また、別の視点から見ると、実は、「臘八粥」は名実が伴っていない。というのも、8種類の材料で作られている訳ではないからだ。「臘八粥」には好きな具材を自由に入れることができる。その種類が多ければ多いほど、縁起が良くなると言われている。ただし、必ず入れなければならないものが3つあり、それは、「ナツメ」と「ハトムギの実」と「ヒシの実」だ。赤ナツメは、皮を剥きすり潰したものを粥に入れて一緒に煮る。一般的には、土鍋で煮るのが良いと言われる。また、ハトムギの実は、色づくまで十分炒め、「臘八粥」の上に散らす。両者はいずれも、「勢いが盛ん」という意味を含んでいる。

注意する点は、「臘八粥」は当日に完成させることができないことと、当日の午前中に食べることだ。ある民俗研究家は、「この習慣は、古い風習が一般化したものであり、また、『厄払い』の意味もある」と指摘している。

中国人の「臘八」の風習 人民網日本語版

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