東交民巷から大柵欄へ!異国情緒と北京の伝統が融合したサイクリングロード

2021-04-26

エキゾチックな建物、文化的な街並み、老舗店の伝統技術など、今回が紹介したい北京の下町のサイクリングロードはかつての有名な大使館エリア、乾隆年間(1736年~1795年)骨董の字画や古書、文房四宝などの集散地を経て、北京の老舗が林立している商業街などが含まれています。まさに異国情調と北京の伝統文化の両者が同時に楽しめる路線だと言えます。

サイクリングロード:東交民巷→西交民巷→瑠璃廠古文化街→楊梅竹斜街→大柵欄

東交民巷

 東交民巷は13世紀末にマルコ・ポーロが中国を訪問した際に誕生しました。全長1500メートル余りで、西は天安門広場東路から、東は崇文門内大街まで、北京最長の胡同であります。昔は江南水运の食糧を備蓄する「南梁北运」の重要位置であり、「江米巷」と名付けられました。明・清時代には、ここが中央官庁の集結地となりました。

東交民巷はかつては有名な大使館エリアとして、近代北京の百年にわたった浮き沈みを見守ってきました。この胡同には、様々なスタイルで壮大なエキゾチックな建物が建ち並んでいます。

この紅白交じりの建物は、かつて日本の正金銀行の旧跡でした。この建物はこの辺において最も見栄えのいいところであり、赤レンガが石材と映り合い、鮮やかな赤色をした半円形ドームがひときわ目立っていて、遠くからヨーロッパ式の城のように見えます。東交民巷の大使館エリアで最も写真映えする建物として、写真を撮りに訪れる観光客を数多く引き付けました。

そして、東交民巷における最も代表的な建筑は、聖弥額爾天主堂(聖ミカエル天主堂)であります。元々はフランス領事館でありました。灰の色合いと鋭く尖った屋根が相まって、ゴシックスタイルをはっきり見せています。遠くから眺めていると、厳かな気持ちが湧いてきます。

歴史と現代が織り交じる東交民巷をサイクリングで巡ろうと、一つ一つの建物、レンガ、壁にぼつぼつと残った迹から昔の栄枯盛衰を実感することができます。

住所:北京市東城区東交民巷

西交民巷

西交民巷は北京の西城区の東に位置し、天安門広場と東交民巷と隣接しています。前述の「東交民巷」の項でもここの歴史に触れましたが、もともとは米の卸売りが盛んになっていた地域だから「西江米巷」と名付けられました。後に「西交民巷」に変わったのは、中国語の発音上、「交」と「江」、「米」と「民」の発音が似ているからだということです。

東交民巷と同じように、ここも洋風な建物が特徴です。清末の時代、かつて「銀行街」とも呼ばれるようになった西交民巷には多くの銀行の旧跡が残されています。そのうち、旧中央銀行(清の時代は「大清銀行」と呼ばれた)の建物は「中国銭幣博物館」になりました。中国の紙幣と硬貨の歴史も見ることが出来る面白い博物館です。

昔は金融街としての役割を果たしましたが、今は東郊民巷と違い、政府機関は少なくなって閑静な住宅地が多く、北京の下町の風情が漂うリラックスできる胡同となりました。街を散策しながらその違いを見比べるのはなかなか面白いですよ。

住所:北京市東城区西交民巷

瑠璃廠古文化街

 瑠璃廠古文化街は全長800メートルで、遼代のとき、「海王村」と呼ばれた。元と明の時代に、ここでは瑠璃焼の窯工場が開設され、瑠璃瓦を生産していました。「瑠璃廠」と名付けられたのもここからです。

明嘉靖32年、外城が建設された後、ここは城区になりました。そのため、瑠璃廠で瑠璃瓦を焼くことができなくなり、窯工場は今の門頭溝の瑠璃渠村に移転したが、「瑠璃廠」という名前は依然として残され、今なお広く伝わっています。

乾隆年間(1736年~1795年)、瑠璃廠は骨董の字画や古書、文房四宝などの集散地となっていました。いつの頃からか、この工場街に文人墨客たちが集まるようになり、約200年前に現在のような文化的な街並みになっていたということです。

国内で有名な栄宝齋や中国書店の小売店も次々に建てられました。現在の瑠璃廠は筆、硯、墨、紙の文房四宝と印章、書画骨董(模造品)などを購入する最適な場所になりました。瑠璃廠のスタイルが清朝の街を模しているから、とても映画チックな雰囲気もその魅力のひとつです。もちろん、ここも毎日多くの観光客を集めてにぎわっています。

住所:北京市西城区和平門外瑠璃廠東西街

楊梅竹斜街

 前門の外にある楊梅竹斜街は496メートルしかありません。その東は煤市街から始まり、西は延寿街に至ります。乾隆期の『京城全図』では、この街がかつて楊媒斜街と呼ばれていましたが、光緒年間に楊梅竹斜街となりました。

北京で散歩・食事・娯楽を満喫すると同時に、歴史と文化も体験できる胡同と言えば、まず西城区にある楊梅竹斜街を思い出します。楊梅竹斜街の文芸の息吹が民国時代からも始まりました。魯迅先生が泰丰楼で宴会を行ったことがあり、沈従文先生がここで『辺城』を書きあげ、蔡鍔と小鳳仙がここで知り合うようになりました。民国時代の7社の有名書店が全部ここに集まるので、楊梅竹斜街は民国時代における文芸界のトップクラスの景勝地と言えます。

現在でもそれらの書局が残されています。楊梅竹斜街を散策すれば、白い民国風の建物が目に入ります。上には繁体字の「模範書局」が刻まれ、柱と窓のデザインもレトロです。これは楊梅竹斜街で最も目立つ建築と看板で、かつて商務印書館、中華書局と鼎立していた世界書局の所在地です。

また、楊梅竹斜街では本物の手作り老北京兎児爺を買うこともできます。楊梅竹斜街19番にある老北京兎児爺(トゥルイエ)は、手作りの泥人形を販売するお店で、経営者は北京の非物質文化遺産の伝承者の一人です。ここの兎児爺は全部手作りで、吉祥如意、事業の成功、福禄双全などを意味しています。

自転車に乗って、民国時代に北京で最もぎやかなところで、昔の風雅と文芸を探しみましょう。

住所:北京市西城区楊梅竹斜街

大柵欄

大柵欄はもともと廊房四条と呼ばれ、天安門広場の南側、前門大街の西側にあり、北京の中軸線の南側の重要な構成部分であります。東から西まで全長275メートルです。明の永楽十八年(西暦1420年)以来、大柵欄は500年の変遷を経て、だんだん店が立ち並んでいる商業街になっています。

清の時代、ここはすでに主要な商業街になっていました。商業活動が多いから、泥棒を防ぐために、ここの柵はほかの地域より大きく建設され、見た目も綺麗から「大柵欄」と名付けられました。

数百年の歴史を持つ古い商業街として、大柵欄には国内外で有名な老舗(中華老字号)があります。買物だけでなく、老舗店の伝統技術を体験することもできます。例えば、内聯昇で千層にも及ぶ靴底を作ったり、瑞蚨祥で自分のチャイナドレスのボタンを作ったり、また張一元でジャスミン茶を作る過程を学んだりすることができます。

住所:北京市西城区大柵欄街

おすすめ老舗

瑞蚨祥

精巧な中国式の伝統的なボタン、龍と鳳と雲の形に施された刺繍、外へ巻いた白い袖口、リネンとコットンのやさしいさわり心地、いろんな色展開もあり、そのすべてが併せ持っているのは美しい伝統の中国服です。

質のいい生地を選んで、色々工夫をした中国式が買えられる老舗として、「瑞蚨祥」がおすすめです。さまざまな服が展示されているので、マネキンを見てじっくり選ぶことも、自分で試着することもできるから、ぜひ北京旅行の思い出の一つとして一着買ってみてはいかがでしょう。

住所:北京市西城区大柵欄街5号

内聯昇

清の咸豊三年に創業した「内聯昇」は、北京で有名な布靴の老舗で、品質が一流で、今は中国の国家級無形文化遺産でもあります。昔の北京っ子は布靴を履くのなら必ず内聯昇の布靴を履くというこだわりがあるそうです。

ちょっと試して履いてみたら、とても履き心地がよくて、箱を開く瞬間に防カビまた消臭のカンフルの味が出できます。北京に旅行してきた人は記念品として靴を買うことがよくあるので、これも一つの実用性のある選択でしょう。

住所:北京市西城区大柵欄街34号

同仁堂

中国国内の長期にわたって名声を博した漢方薬の老舗である同仁堂は300年余りの歴史を持っています。「修和無人暁、存心有天知(カウンターの裏で薬を調和するときに薬に実際に何を入れたのか顧客は分からないが、もし下心を持つならば神様は分かるのだ」――これは同仁堂薬局店内に先祖の位牌を安置するところにかけられた対聯であり、同仁堂が三百年の風雨にさらされても衰えなく商売が繁盛している秘密でもあります。

住所:北京市西城区大柵欄街24号

六必居

六必居という店は450年以上の歴史を持つお漬物の老舗です。ザーサイやキューリなど日本でもよく見かける漬物のほかに、中国では人気な甘めのニンニクの漬物や、ピーナッツ、八宝菜など、いろいろと選択肢が豊富です。

食感はシャキシャキとしていて、老舗ならではの作り方で見ただけで食欲が出ます。味付けも日本とは違い、ご飯のお供としては最高!量り売りとパウチされたパック、瓶に入ったものなどがありますが、おみやげならパックや瓶のほうがおすすめします。

住所:北京市西城区前門外糧食店街3号(大柵欄の南)

張一元

「張一元」は約百年の歴史を経験し、北京で有名なお茶老舗になってます。緑茶、紅茶、白茶、「青茶(烏龍茶)」、黄茶、黒茶及び花茶などが生産、加工し、約300余り種類の茶葉を販売しています。百二十余りのチェーン店を有しています。

住所:北京市西城区大柵欄街22号

文・北京旅行網

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