磚塔胡同から牛街へ!ワンストップ式サイクリングロード

2021-04-27

胡同巡りといえば、北京の悠久な歴史を辿るスポット、古き良きの北京の風情が感じられる路地、ニッチで特色あるSNS映え店、おみやげを買える老舗、北京の伝統的なグルメや生活感かつ文化的な雰囲気などがその魅力です。実は一気にそれらを体験できるワンストップ式サイクリングロードもありますよ!暇があったら、一緒に楽しい一日を過ごしに行きましょう。

サイクリングロード:磚塔胡同→霊鏡胡同→西磚胡同→法源寺→牛街  

磚塔胡同

 「磚(セン)塔胡同」は北京の西四近くにあり、歴史が最も悠久な胡同の一つとして知られています。この胡同には、「北京で一番古い煉瓦の塔」である万松老人塔という古塔があるために、この名前で呼ばれるようになりました。

胡同の中にそびえたつ青レンガ造りの古塔は、元の時代の宰相・耶律楚材が師事した金・元時代の高僧・万松老人を偲んで建てられたものです。古塔はおよそ700年の歴史を有していて、磚塔胡同もほぼ同じです。

現在、万松老人塔は「正陽書局」という古本屋の所有となっており、無料で見学することができます。この古書店は灰色の塀に囲まれた伝統的な四合院の中にあり、主に「老北京」(昔の北京)に関する本を扱っています。本棚に並んでいる本は、老北京の風物、歴史、建築、文学などテーマごとに丁寧に分類されています。書店にはネットで人気を呼んでいる「磚磚」と呼ばれる猫もいます。

「磚塔胡同」には、万松老人のほかに、もうひとり有名な人物が住んでいたこともあります。それはかつて日本で留学した経験もある中国の口語体小説の生み親である魯迅のことです。魯迅は弟周作人との不和によって、1923年7月「磚塔胡同61号(現84号)」に引越しました。この30㎡足らずの狭い家で、魯迅は『祝福』、『幸福の家庭』などの作品を創作しました。

住所:北京市西城区磚塔胡同

霊境胡同

霊境胡同は北京の西単エリアに位置し、東西に走っている路地です。その東側は府右街と交差し、西は西黄城根大街、西単大街のと接しています。北京の「皇城根」の一部分ともされています。

明の時代に、霊境胡同は東や西の2つの部分に分けられていました。東側は霊済宮があるから、「霊済宮」と呼ばれました。西側の南には宣城伯府があるから、「宣城伯後壁街」と名づけられました。

清の時代になると、西黄城根南街を境にして、東側はもっとの「霊済宮」から「霊清宮」や「林清宮」という発音に変化していったから、「林清胡同」と呼ばれました。西側は「細米胡同」に呼ばれるようになりました。そして、霊済宮は寂れてきて、その名前も誤りをそのまま伝えて、だんだん「霊済」から「霊清」、後は「霊境」までに変化してきました。

現代の霊境胡同は広くてまっすぐで、北京の一番広い胡同とされています。その西は賑やかな西単北大街と繋いで、東側は厳かな府右街と接し、車が往来に走っていて、東西に通っている重要なストリートになっています。

住所:北京市西城区霊境胡同

西磚胡同

西磚胡同の起源は、明の時代までさかのぼります。当時は「磚児胡同」と呼ばれていました。この名前は、清の時代まで使用されていました。清朝末期や中華民国の時期に「西磚胡同」と改名されました。

当初、この地域はレンガの製造・販売が盛んだったと言われており、この胡同もそのために名付けられたということです。また、磚塔胡同と同じように、この胡同にもレンガ造りの塔があるから西磚胡同と名付けられたという説もあります。 北から西磚胡同に入ると、西側は北から南へと培育胡同、法源寺後街、法源寺前街があり、東側は北から南へと永慶胡同、蓮花胡同、七井胡同があります。

さらに特別なのは、この胡同の北部の東側には西磚胡同の支線もあることです。これは同じ名前の不規則な胡同です。つまり、このセクションでは、2つの西磚胡同が並置されています。この2つの胡同は培育胡同の東の入り口にまたひとつになりました。

西磚胡同には、曲がりくねった通り、青いレンガと灰色のタイルのある中庭、朱色の門、さまざまな形の桟橋などの伝統建築だけでなく、自然の巧妙な音もあります。例えば、明るい春に飛び交うツバメのさえずりなど。また、時折流しの物売りのおじさんが自転車に乗って、独特の節回しで何やら叫びながら、胡同を回っています。

西磚胡同の南端の西側には、国内外でよく知られている千年の歴史を持つ古代寺院である法源寺があります。法源寺は有名な仏教の聖地であるだけでなく、寺院のライラックも極めて有名です。

住所:北京市西城区西磚胡同

法源寺

 法源寺は唐太宗の貞観19年(西暦645年)に建てられ、敷地面積は6700平方メートルです。北京市内に現存する最古の仏教寺院とも言われています。その後は何回も修築されたもので、今残されているのは明清の時代の建築です。

法源寺は山門・鐘楼・鼓楼・天王殿・大雄宝殿・欄忠台・大遍覚堂・ 蔵経楼と東西の吹き放ちの廊下などからなっています。北宋の欽宗が金に捉えられ、中都に送られた時拘留されたのがこの寺でした。ここは金の時代に女真族の科挙の会場として利用されたこともあります。

寺内の文物は「大悲壇」という場所に展示されています。そのうち、最も古いのは1900年前の後漢時代の陶土仏像です。また、観音殿にある銅の千手千目観音像も貴重なものです。この高さが50センチぐらいの観音像は銅で鋳造したもので、とても重いです。特に手や目の彫刻は素晴らしいです。また、観音の手から水が滴ることが数百年も続いているので、国内や海外の高僧、信者もよく参拝に訪れています。

法源寺はそれほど広くないですが、寺内のライラックは明清時代からすでに都で有名になっています。昔の北京城には、法源寺のライラック、崇効寺の牡丹、恭王府のカイドウという三つの花見名所があると伝えられました。

ここには紫と白ライラックのほかに、南マルクから輸入されたライラックさえあります。毎年4月に、美しく咲き誇る花は古色蒼然とした建築に春の生気に満ち溢れたムードを加えます。林則徐、紀暁嵐、龔自珍などの有名人はかつてここに足を運び、詩句をしたためました。

法源寺のお花見の楽しみ方をここでお教えしましょう。寺内のライラックはほとんど法源寺の大雄宝殿と憫忠閣に集中していますよ。もし五弁のライラックに出くわしたら、きっと運がよくなるでしょう。お花見のほかに、法源寺にはオレンジ色の大きな猫もネット上で大人気になり、とてもかわいらしいです。ライラックを観賞しながら、この猫と出会いましょう。

住所:北京市西城区法源寺前街7号

牛街

 牛年は牛に関するスポットへ!北京では、牛街は誰もが知っている名所です。なぜなら、ここにある牛街礼拝寺は北京の「四大モスク」の中で最も大事な一つだからです。ここでは、千年以上の歴史を持つイスラム文化を体験することができますよ。

もともと牛街はザクロ園で、昔この辺りの住宅区は「榴街」と呼ばれ、榴街に住んでいる住民の多くは中国の少数民族である「回族」で、彼らが作った牛肉が有名で非常に美味しく、さらに「牛」と「榴」の中国語発音が似ているため、「榴街」を「牛街」と名前を変えました。牛街は北の広安門内大街から始まり、南の横街まで延びます。

「北京のグルメは西城にあり、西城のグルメは牛街にある」という諺が言ったように、本場の北京グルメが食べたいなら、ぜひ牛街へお越しください。その付近には清真と北京風味のグルメ店やレストランがたくさんあります。聚宝源のしゃぶしゃぶ、白記年糕、伊宝荷葉甑糕、清真・吐魯番レストラン、洪記軽食など、どちらもおすすめの名グルメです。また、牛街スーパーに隠れている老舗や、大順斎の糖焼きなども見逃さないでください。

住所:北京市西城区牛街

このロードはどうですか?歴史が最も悠久な胡同、北京で一番古い煉瓦の塔、(昔の北京)に関する本を扱っている古本屋、ネットでも人気の猫たち、北京市内に現存する最古の仏教寺院、美しく咲き誇るライラック、本場の北京グルメなど、ワンストップ式と言っても過言ではないでしょう!

文・北京旅行網

モデルコース
人気おすすめ