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中国の伝統的な「端午節」について 端午節の由来

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 今年の6月14日に中国伝統的な祭り――端午節を迎えます。端午は陰暦五月五日にあたり、とても古い祭日であります。端午節は端陽節、五月節、午日節、重午、夏節などとも呼ばれ、中国の四大伝統行事(春節・清明節・端午節・中秋節)の一つであります。「端午」は最初は「端五」と呼ばれていたが、「五」と「午」が同音なため、のちに「端五」を「端午」と書くようになりました。

 端午節の起源

 伝統的な祭りの起源は、大昔の原始的な信仰、祭祀文化、天文現象、暦などの自然や人的文化に関連しています。現代人類学や考古学の研究成果によると、人類は天地信仰と祖先信仰という2つの原始的な信仰があります。昔ながらの祭りはほとんど古代人が神や祖先に感謝するために縁起の良い日を選んで行った祭祀活動から発展してきたものです。祭りの起源と発展は緩やかで、気づかないうちに完成し、普及していくプロセスです。

 大昔、中国では南北の風習が異なり、秦以前の端午節の祭り活動は中原の文書にほとんど記録されておらず、現存する文書だけでは端午節の起源を直接確認することはできません。端午節の関連記録としては、「端午」という言葉が初めて出てきたのは晋の時代の「風土記」だったが、竜船競漕など端午の風俗習慣は古くから既に存在しています。

 端午節の2つの象徴的な習慣は、竜船競漕と中華ちまき(粽子)を食べることです。竜と竜舟文化は端午節の発展の始めから既に存在しています。竜船競漕の前提条件から見ると、その場所は米の生産地と川や港が多いところでなければなりません。これはまさに中国南部の沿海地域の特徴と合致しています。中国古代の典籍の中で、竜舟に関する記録は東漢時代に初めて登場しました。このことから、端午の風習は当初呉越地域でのみ流行し、その後、長江上流や北部地域に広まったと推測されます。端午節の風習の形成は南北の風習の融合の産物とも言え、歴史の発展とともに新たな内容が注入されてきました。

 端午節の由来の説

 トーテム文化

 現代の有名な学者聞一多先生の考証によると、端午節の起源は、遠く屈原が生まれる以前にさかのぼり、また端午節の多くの風習が竜と関係のあることから、「端午節は……古代呉越民族――竜をトーテムとする民族が行ったトーテム祭の祭日で、略称すれば竜の祭日である」といわれています。

 近年になって広東、広西、福建、台湾、浙江、江蘇、安徽、湖南、湖北などの地方で、続けさまに新石器時代末期から秦漢以前にかけての、幾何学的印紋のある陶器と石器を特徴とする文化遺物が発見されています。この種の文化遺物について、歴史の伝説と地理を結びつけて考えた時、これはトーテム崇拝の歴史上百越と呼ばれている民族のものであるらしいです。彼らは「髪を切り、身体にいれずみを施し、雄々しくよそおって竜に似かよわせる」という民間の風習があり、自分たちを竜の子孫と見なしています。この端午節は彼らの祭日であり、竜の祭日ともいえます。

 人類社会の進歩につれて、人々はたえず自然を制圧し、改造する効果的な方法を身につけ、自然を征服する自信をたかめ、次第に幼稚なトーテム文化から抜け出すようになりました。トーテム文化が失われてから、典型的なトーテム社会の古い形態は、いれずみで竜に仮装することから、端午節の竜船に変わりました。この竜船は、いれずみの範囲が人間の身体から身体以外のものへと発展した現れであります。

 また、この時になって、端午節は遠い昔のこの竜のトーテムを崇拝する祭日としての意義を失い、転じて中国戦国時代の偉大な詩人屈原と結びつくようになりました。民間の伝説では屈原紀念説の他に、伍子胥、介子推、曹娥、越王勾践、秋瑾などを追悼する説もあります。その中でも屈原紀念説が最も大きな影響力を持っています。

 屈原を記念する

 屈原紀念説によると、「端陽節」、「重午節」とも称されるこの祭日は中国古代の偉大な愛国詩人屈原氏を記念することから始まります。中国の唐の時代にはすでに「節分端午自誰言、万古伝聞為屈原」という詩句が歌われました。紀元前340年に生まれた屈原氏は、斉の国と携えて秦の国に対抗するという奇策をもって、楚の国王に進言したが受け入れられず、讒言に陥られ左遷されました。

 紀元前278年五月五日、楚の国が秦の国に併合されたことを聞いた屈原氏は汨羅江に身を投じて亡楚に殉死しました。当時、屈原氏の殉国を聞いて悲しんだ人々は舟を競って救いにかけたが失敗し、仕方なくちまきを川に投げ込んで魚を飼い、雄黄の酒を傾けて川に注ぎ悪竜を追いたて、屈原氏の遺体を守ろうとしました。その後、以来、ちまきを食べたり、竜舟を競ったり、雄黄の酒を飲んだり、香り袋を着けたり、よもぎを掛けたりするのが人々の端午節の習わしとなりました。

 伍子胥を記念する

 伍子胥は楚の国の人で、父兄がみな楚王に殺され、後に呉に行き呉の国が楚国と戦うのを助けた人物であります。呉王闔廬の死後は子供の夫差が後を継いだが、夫差は後に中傷を信じて子胥にこれで死ぬようにと宝剣を授けました。子胥は忠義のために死ぬことを恐れず自害しました。子胥の死後、夫差は命令を下して子胥の遺体を皮で包んで五月五日に川へ投げ入れさせたため、端午節は伍子胥を記念する日になったということです。  

 孝女曹娥を記念する

 端午節は父親を救うために川へ飛び込んで死んだ東漢の孝女、曹娥を記念する日とも言われています。曹娥は東漢の上虞の人で、彼女の父親は川で溺死し何日も遺体が見つからなかったです。当時親思いの曹娥はわずか14歳だったが日夜川沿いで泣いていました。17日後の五月五日に曹娥も川に飛び込み、5日後に父親の遺体を抱いて川から出てきたという物語があります。後代の人は曹娥の親孝行を記念して、曹娥が投身した場所に曹娥廟を建て、曹娥がもともと住んでいた村を曹娥鎮と改名し、曹娥が父親のために死んだ川を曹娥川と名づけたということです。

 端午節は中国人が二千年以上前から祝ってきた伝統的な風習であります。広大な国土面積と多くの物語と伝説のために、端午節は多くの異なる名前が生み出されただけでなく、中国各地の慣習もさまざまさまざまです。(情報提供:人民網日本語版)

文・北京旅行網

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