新中国の基礎を築く名所巡り:頤和園-香山公園-香山革命記念館

2021-06-30

今年は中国共産党創立100周年であり、北京市文化観光局は、市民たちが赤の観光資源を訪れ、赤の思い出を体験できるよう、10の赤い観光ルートを正式に立ち上げました。今回は、新中国の「進京赶考(科挙試験を受けるための上京、ここでは北京へ行って試練を受けることを指す)」である頤和園、香山公園、香山革命記念館の見学コースをお勧めします。

頤和園は、北京の「皇室園林」の典範であり、中国で最も保存状態の良い皇室園林の一つです。香山公園は、北京西部の郊外に位置し、多くの文物や旧跡があり、東屋などが山に点在しています。香山革命記念館の大型テーマ展、「新中国の基礎を築く-香山にいる中国共産党中央委員会」に足を踏み入れて、歴史をたどり、革命時代を思い起こし、「赶考」という初心に立ち返ります。

頤和園

頤和園は、北京の「皇室園林」の模範で、中国で最も保存状態の良い皇室園林の一つであり、「皇室園林博物館」として知られ、5Aレベルの景勝地でもあります。頤和園といえば、万寿山の仏香閣や昆明湖の印象が強い方も多いと思いますが、実は、中国共産党が北京を平和解放させたときに最初に立ち寄った益寿堂など、頤和園では見応えのある場所はたくさんあります。

頤和園の万寿山の東側斜面に位置する益寿堂は、松や檜の間に隠れている北向きの建物を持つ伝統的な四合院式の建築です。院門に「益寿堂」と書かれた札が掛かっており、正殿は「松春斎」で、正殿と東西の補助ホールが回廊で囲まれて完全な庭になっており、中庭の壁にも精緻な花窓がはめ込まれています。益寿堂は清の光緒時代に建て初められたもので、慈禧太后が景福閣を訪れた際に食事や着替え、休息のために使用していました。

1949年3月25日、頤和園の歴史上、非常に重要な日です。そして、中国共産党の歴史上、極めて重要な日です。この日、かつての最も優れた皇室園林である頤和園は、中国の数千年の歴史の中で最も偉大な時代の変わり目と絡み合っていたのです。

1949年3月25日朝6時、毛沢東、劉少奇、朱徳、周恩来、任弼時などの中央指導者たちは、特別列車で清華園汽車駅に到着した後、車に乗り換え頤和園まで来て、益寿堂で入京後初めての昼食をとりました。

午後5時、毛沢東、劉少奇、朱徳、周恩来、任弼時、林伯渠は、西苑空港で出迎えに来た1000人以上の各界の代表者や民主派の人々と会い、車に乗って部隊を観閲しました。

夜になると、毛沢東主席が中国共産党中央委員会を代表して、益寿堂で晩餐会を開き、第一回中国人民政治協商会議に出席するために中国各地から北京へ集まってきた民主派の人々を招待し、夜遅くまで一緒に討議をしました。晩餐会の後、毛沢東主席は香山公園の双清別荘に移動して休息し、その時から中国共産党は政権を担当する旅が展開されました。

現在、頤和園の益寿堂では、「古都の春暁-中国共産党の「進京赶考」の旅を辿る」というテーマ展が行われています。豊かな内容と詳細な史料で、「春光を浴びる古稀園」、「『進京赶考』初日」、「肝胆相照らす詩や歌」の3つの展示室に分けて展示しています。

この展示は、古代の建物のスタイルを維持するとともに、写真、実物、動画、マルチメディアなどを使って展示しています。第一展示室は「勝利の夜明け」、「平和的接収」、「名園の新姿」の3部構成で、主に頤和園と北平の平和的解放との関係や、1949年前後の頤和園の保存状況について紹介しています。第二展示室は、「思想上の準備」「北上して進京」「真夜中の宴」の3部構成で、毛沢東をはじめとする中国共産党の指導者たちが、西柏坡から北平への歴史を述べ、特に北京入りした初日に頤和園の益寿堂で民主派の人々を招待した歴史を紹介しています。第三展示室は、「賢人たちの到来」「毛柳の唱和」「建国の相談」の3部構成で、毛沢東と民主派人々との交流の歴史や、柳亜子との唱和を中心に紹介しています。

住所:北京市海淀区宮門前街甲23号

アクセス:東宮門地下鉄線路:4号線西苑駅;北宮門地下鉄線路:4号線北宮門駅

香山公園

北京西部の郊外に位置する香山公園は、山と森の特徴を持つ王宮庭園で、面積は188ヘクタールで、危険な地形と豊かな緑が特徴です。公園の主峰である香炉峰は、通称「鬼見愁(鬼が目にしても困る)」で、標高は575メートルです。

香山公園は、今から約900年前の金大定26年に建設されました。元、明、清の時代には、皇室はここで別院を建て、夏と秋には皇帝が狩りに出たり、涼んだりしていました。香山寺はかつて、北京西部のトップ寺院で、1745年に乾隆帝から「静宜園」という名前が与えられました。北京西部の有名な「三山五園」のうち、香山公園は山の一つ(香山)と園の一つ(静宜園)を占めています。1860年と1900年に英仏連軍と八国連軍によって2度焼失され、1956年に人民公園として開園しました。

香山公園には多くの名所旧跡があり、山や森の中に東屋が点在しています。燕京八景の一つである「西山晴雪」、明・清時代の建築様式を持つ寺院「碧雲寺」、国内唯一残っている木造金箔張りの「五百羅漢」、六代目パンチェーを迎えた宮殿「宗鏡大昭之廟」、江南の特色を持つ古めかしい庭「見心斎」などがあります。

碧雲寺は、元の至順2年(1331年)に建てられたもので、当初は「碧雲庵」と呼ばれていました。 明の正徳・天启(1271〜1368)、清の乾隆(1736〜1795)の時代に次々と改修・拡張され、現在の規模になりました。寺院全体の面積は約4万平方メートルで、東西軸のテーマ別の建物は6つに分かれています。それぞれのホール群は、山によって、層を重ねるごとに上昇していき、非常に壮観なものです。碧雲寺は、1957年に北京市政府によって北京最初の重要文物保護単位の一つに指定され、2001年には国家級文物保護単位に指定されました。

双清別荘は、岩の割れ目から二つの清らかな泉が湧き出ることから、金章宗によって「夢感泉」と名付けられ、1745年に「松塢雲庄」として建てられました。乾隆は泉が涼しくて甘いと感じているので、「双清」という名を与えました。1917年、熊希齢は洪水の後に「香山慈幼院」を作り、ここを個人の別荘として使用し、「双清別荘」と名付けました。双清別荘はかつて、世紀的な偉人、毛沢東が暮らし、仕事をしていた場所です。中国共産党中央委員会が香山に駐屯していた1949年3月25日、毛主席は双清別荘で渡江戦役を指揮し、新中国建国の準備を行い、「人民解放軍、南京を占領す」という有名な詩を書き、中国の歴史に新たな1ページを開きました。2019年、中央政府と北京市政府の配慮のもと、双清別荘を含む中国共産党中央委員会の北京香山革命記念館旧跡の修復が完了し、9月13日に正式に公開されました。

香山公園は樹木の数が多く、森林被覆率は96%、古木だけでも5800本以上あり、北京の都市部の4分の1を占めており、北京で最もマイナス酸素イオンの多い地域の一つです。「山川、名泉、古樹、紅葉」という独特で豊富な園林意味合いを持ち、避暑地であり、天然の酸素バーでもあります。

住所:北京市海淀区买卖街40号

アクセス:西郊線に乗り、香山駅で下車します。 

香山革命記念館

香山革命記念館は、香山公園の外、紅楓路の東側にあります。緑豊かな広場の向こうに、薄茶色の建物がひっそりと建っています。南ゲートの外では、ゲート前の28本の柱の間から日差しがこぼれ、光と影が地面に絵を描いています。見上げると、毛体字で書かれた「香山革命記念館」の横額が高く掲げられており、自由にのびのびとした文字が書かれています。記念館の建築面積は17985平方メートルで、中国の伝統的なモニュメント建築の儀式感を出すために新中国様式で形作られています。

記念館は、中国共産党の28年間の苦闘を象徴する28本の廊下の柱が巧みにデザインされています。記念館2階の東側には、中国の伝統的な「四本の梁と八本の柱」がデザインされており、中共中央委員会と民主党派・無党派の民主派の人々が新しい政協を準備し、中央人民政府を成立させ、新しい中国の誕生のために「四本の梁と八本の柱」を建設した歴史を象徴しています。東門の外の広場に立っている国旗竿も非常に精巧で、19.49メートルの高さは1949年に誕生の中華人民共和国を意味しています。

記念館に入ると、高さ8メートルの最初のホールは輪の形に設計されており、中央には「香山にいる毛沢東同志」の大きなテーマ彫刻が佇んでおり、その後ろには320平方メートルの巨大な油絵があり、春の山が微笑み、霞が美しいことが描かれています。左側には「渡江戦役」のレリーフ、右側には中国共産党と20人の民主派の人が国事を論じている場面です。

香山革命記念館では、「新中国の礎を築く-香山にいる中国共産党中央委員会」テーマ展示があり、香山の革命の歴史に焦点を当て、紹介する場所となっています。歴史の流れに沿って、展示内容は「進京」「赶考」「香山に入る」「全中国の解放を指揮し続ける」「新中国設立を準備する」「初心忘るべからず、使命を忘れず、永遠に奮闘する」の5部分15ユニットで構成されています。展示面積は6000平方メートルで、来場者の動線は約900メートルです。800枚以上のイラスト、新聞写真、地図、表、1200点の文物(実物、文献、古文書など)、数点の芸術品が展示されています。

展示ホールには、モノクロの写真が飾られています。写真では、毛沢東主席が椅子に座り、片手で新聞を持ち、もう片方の手で膝を軽く休めています。手にした新聞には、「南京解放」の文字が目立っています。右側には「数千キロの河川防御が一瞬にして砕け散り、南京の反動政権が滅亡」という見出しがはっきりと見えます。この写真は、写真家の徐肖冰氏が香山の双清別荘で撮影したものです。その新聞とは、今回展示ケースに入れた1949年4月25日付の「進歩日報」です。

今年の5月17日、香山革命記念館の書籍・歴史資料が再び拡充された。『毛沢東手跡』『星火燎原』『中国人民解放軍戦史』『大家小書』など、400冊近い貴重な書籍や歴史資料が寄贈されました。

住所:北京市海淀区香山公園内

アクセス:西郊線に乗り、香山駅で下車します。【許洱 訳】

北京旅游网翻译

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