「五四新文化運動」発祥地巡り:北京大学紅楼-蔡元培故居-北総部胡同趙家楼遺跡

2021-07-02

今年は中国共産党創立100周年であり、北京市文化観光局は、市民が赤色の観光資源を訪れ、赤色の思い出を体験できるように、10の精選された赤色観光ルートを正式に立ち上げました。今回は「五・四新文化運動」発祥地である北京大学紅楼、蔡元培故居、北総部胡同趙家楼遺跡をお勧めしたいと思います。

北京大学紅楼は、中国初期のマルクス主義普及の中心地であり、革命歴史の痕跡が残っています。蔡元培故居では、蔡氏の生涯と業績を詳しく紹介しており、貴重な写真や多くの作品を展示しています。また、北総部胡同趙家楼遺跡は愛国的主義教育の拠点となっています。

北京大学紅楼

北京の五四大街には、赤レンガの石積みと赤瓦の屋根を持つ古い建物である「北京大学紅楼」があり、現在は北京新文化運動記念館となっています。中国共産党の北京における初期の革命活動の跡地であるこの建物は、初期の中国共産党員の輝かしい歴史を語ってくれます。

北京大学紅楼は、五四運動の発祥地として、中国初期のマルクス主義普及の中心地であり、北京で最初の共産党組織が誕生した場所でもあります。ここでは、蔡元培氏が執務していたこと、李大釗氏が北京大学図書館長を担当してたこと、陳独秀氏が『新青年』の編集をしていたこと、魯迅氏が授業に出たことなどがあります。

新文化運動とは、1919年に「反伝統、反儒教、反文言」をスローガンとした思想的かつ文化的革命運動であります。中国における近代科学の発展を促し、中国におけるマルクス主義の普及と五四愛国運動の爆発のための思想的基礎を築きました。1961年には、国家重点文物保護単位の第一陣として発表され、北京市の愛国教育基地でもあります。

住所:北京市東城区五西大街29号

蔡元培故居

北京の蔡元培故居は、東城区東堂子胡同にある四合院で、面積は約368平方メートルです。蔡氏は1917年から1920年までここに住んでいたが、一流の学者として非常に質素な生活をしていたため、北京には不動産を持っておらず、つまり北京大学の学長時代にここを借りただけということです。実は、蔡氏は当時、北京の西城や宣武に住んでいたのだが、最終的に東城区のこの場所が「蔡元培故居」とされたのは、五四運動がここで発祥したからです。

蔡元培故居には「東城区愛国主義教育基地」と書かれたプレートがあり、入り口には「北京文物保護単位蔡元培故居」と書かれた石板があります。

訪問ルートは一つだけあります。右手の長い通路に沿って入り、訪問後は同じ道を戻る必要があります。蔡元培氏の生涯を紹介する展示は、廊下の突き当たりを左に曲がったところにある大きな部屋にあります。壁には蔡氏の生涯を詳しく紹介する写真や文章が貼られ、貴重な写真もたくさん展示されています。また、展示台には、蔡氏の文章や関連作品が多数展示されています。

奥に入ると、書斎と寝室が目に入ります。2つの小屋には鍵がかかっていますが、窓から中の調度品がよく見えます。書斎の本棚と椅子、机の上の紙と鉛筆、硯とタイプライター、ベッド、鏡のついたワードローブ、寝室の籐椅子、コートラックにかけられたコート、タオルラックにかけられた白いタオルなど、当時の住居の細部を復元しました。寝室のドアの外にはツアールートの終点になります。そこには蔡氏の白い胸像の彫刻があり、その前には緑に囲まれた菊の鉢が置かれ、後ろには「偉大な学者、世界のモデル」という対聯が書かれています。

住所:北京市東城区東堂子胡同75号  

北総部胡同趙家楼遺跡

東城区の旧趙家楼胡同1号にある「趙家楼レストラン」は、ピンク色の5階建ての建物であります。その前の壁には学生たちの浮き彫りがあり、赤い看板には「五四運動の趙家楼を焼いた跡」と書かれています。

1984年5月、五四運動65周年を記念して、旧趙家楼胡同1号の東壁に「五四運動の趙家楼を焼いた跡」というプレートがはめ込まれました。2002年5月1日、趙家楼遺跡は愛国主義教育の拠点となりました。

住所:北京市東城区旧趙家楼胡同1号【韓喬 訳】

北京旅游网翻译

モデルコース
人気おすすめ