中国革命の先駆者を偲ぶ名所巡り:李大釗故居-李大釗烈士陵園-八宝山革命公墓

2021-07-02

今年は中国共産党創立100周年であり、北京市文化観光局は、市民が赤色の観光資源を訪れ、赤色の思い出を体験できるように、10の精選された赤色観光ルートを正式に立ち上げました。今回は中国革命の先駆者を偲ぶ旅として、李大釗故居-李大釗烈士陵園-八宝山革命公墓という観光路線をお勧めしたいと思います。

李大釗故居は、中国革命に欠かせない個人的かつ集団的な記憶を持っています。李大釗烈士陵園の新設展示は、「不滅の功績-李大釗生涯事績展」をテーマにしており、李大釗の輝かしい人生を総合的に示しています。「並木草地」を基調にした八宝山革命公墓の全体的なデザインは「革命精神」をテーマにし、犠牲した英雄を慰め、新たな力を奮い立たせ、献身的な精神が生き続け、世代から世代へと受け継がれていくことを求めています。

李大釗故居

北京大学在職中の李大釗は、1920年春から1924年1月まで、現在の西城区文華胡同24号に住んでいました。当時、この場所は「石駙馬大街後宅35号」と呼ばれました。李大釗の旧居は、小さな三合院で、敷地面積は約550平方メートルです。北に三部屋、東と西「耳房」(正房の東西に連らねて建てられている小室)二部屋、そして東と西「厢房」(東西両側にあり、正房と共に中庭を囲む)三部屋があります。その中で、北棟の東側の部屋は李大釗夫妻の寝室、東耳房は長女の李星華の寝室、東厢房の北側の部屋は長男の李葆華の寝室、南側の部屋は客室、そして西厢房は李大釗の書斎です。

ここに滞在中、李大釗はマルクス主義思想と唯物史観理論に研究と要約を行いました。たとえば、この時期に彼は『唯物史観の現代史学における価値』(原題:唯物史観在現代歴史学上的価値)一文を書いて発表しました。また、「マルクスの経済学説」の講演原稿もこの滞在中に書かれたものです。

先進的な革命理論は、プロレタリア革命の先駆者である李大釗を実践に向かわせました。李大釗は、石駙馬大街後宅35号に住んでいる間、北京で共産党の前駆的な組織の設立を計画し、中国共産党の創立の準備にも参加しました。1920年10月、北京の初期の共産党組織は、北京大学図書館内の李大釗のオフィスで正式に設立され、「共産主義小組」と名付けられました。1920年末には、北京の初期の共産党組織は、名称を「中国共産党北京支部」と決め、李大釗を書記へと推挙しました。

石駙馬大街後宅35号を住居とした李大釗も、この時期中国北部の労働者・学生運動をリードしました。1921年7月、中国共産党第一回全国代表大会が上海で開催されたが、李大釗は北京の教育界での賃金闘争を主導していたため、会議には出席しませんでした。李大釗は当時、中国共産党の北方地区党組織のリーダーであり、北方労働者運動の総司令官でもありました。この時、李大釗が共同で編集した『工人週刊』は、1921年10月までに中国共産党北方地区委員会の機関紙と中国労働組合書記部北方支部の機関紙となり、北方地区の労働者運動を推進する上で重要な役割を果たしました。さらに、李大釗は封建軍閥との闘争を指揮し、第一次国共合作を促進したなどの功績があります。

当時、多くの若者が李大釗の家に滞在し、彼の師匠のような世話や教誨を受けていました。中国共産党の北方地区党組織によって組織されたいくつかの重要な会議も、李大釗の書斎で開催されました。ここ以外にも、李大釗は北京の多くの場所に定住しており、前述の東交民巷のほかに、宣武門内銅幌子胡同甲3号もあります。1924年春、李大釗は「中国国民党第一次全国代表大会」に参加した後、広州から北京に戻ったが、以前の反動政府の迫害を受けて、石駙馬大街後宅から、銅幌子胡同に引っ越していた家族と合流しました。

その後、李大釗は邱祖胡同と府右街後坑朝陽里3号に移転したため、李大釗の北京での旧居は一般的に5つとされており、そのうち石駙馬大街後宅35号(現在の文華胡同24号)が最も有名です。

北京で生活・仕事をしていた李大釗にとって、彼の居住地は特別な記念すべき意味を持っています。特に、李大釗の旧居として観光客に開放された文華胡同24号は、中国革命に欠かせない個人的かつ集団的な記憶を持っています。今年の6月1日、李大釗故居は展示がグレードアップを経て、正式に公開されました。

住所:北京市西城区文華胡同24号

李大釗烈士陵園

6月1日、李大釗烈士陵園は展示内容を一新して再開されました。「不滅の功績-李大釗生涯事績展」をテーマに、李大釗の輝かしい人生を存分に展示しました。

李大釗烈士陵園は、海淀区の香山の麓にある万安公墓に位置しています。「庭園の中の庭園」であり、面積は2,200平方メートルです。中国共産党中央委員会の承認を得て建設され、李大釗生誕94周年にあたる1983年10月29日に完成しました。

陵園に足を踏み入れると、漢白玉で彫刻された李大釗彫像が見えます。続いて李大釗夫婦の墓があり、墓の後ろには青い花崗岩の記念碑があります。記念碑の正面には鄧小平同志が書いた題辞がちりばめられており、背面には中国共産党中央委員会が書いた碑文が刻まれています。

記念碑から展示室まで、ただ20メートルの通り道には、普通の床タイルの真ん中に、金地に黒文字の特殊な床タイルが8枚均等にはめ込まれています。8つの時間と場所を通じて、李大釗の輝かしい人生が高度に要約されています。

展示室は三方を囲まれた中庭で、室内には「李大釗烈士の革命事績陳列展」があります。展覧会は、メイン展示室「不滅の功績-李大釗生涯事績展」と記念室「永遠の模範」の2つのエリアに分かれています。そのうち、メイン展示室の面積は277平方メートルで、展示内容は「信仰と主義:中国最初のマルクス主義紹介者(信仰与主义:中国传播马克思主义的第一人)」、「使命と責任:中国共産党の主要な創始者の一人(使命与担当:中国共产党的主要创始人之一)」「革命と献身:中国共産主義運動の先駆者(革命与奉献:中国共产主义运动的先驱)」に分かれています。記念室の面積は68平方メートルで、1933年の李大釗が公葬された後、特に改革開放以来、李大釗烈士陵園の建設、党と国家、社会の各界が李大釗を記念する活動を展示しています。

展覧会では、写真、展示物、原作の引用、映像を中心に、272枚の写真と89点(組)の展示物が展示されています。そのほか、マルチメディアインタラクティブ展示アイテムの5組と制作シーンの2組も設置されています。

展示ホールに入ると、立派な手描きのレリーフ壁が見えます。真ん中には李大釗の胸像があります。その背景は河北省昌黎市の五峰山の起伏のある山並みです。両側には「『新青年』に撰稿(为《新青年》撰稿)」、「『庶民の勝利』の講演(发表《庶民的胜利》演讲)」「五四運動に参加(参与五四运动)」「中国共産党の創設(创建中国共产党)」「京漢鉄道ストライキを主導(领导京汉铁路大罢工)」の5枚の画像を選び、李大釗の人生の重要な段階を高度に要約しました。

展示室には、多くの新しい展示物があります。例えば、李大釗が生涯に残した唯一のビデオ画像‐1924年9月にモスクワ国立劇場で行われた演説の映像や、2011年にオランダ国立公文書館に所蔵されたオランダ記者が撮影した「死に臨む李大釗生前の写真」など、すべて李大釗烈士陵園で初めて展示されます。今回の展覧会では、李大釗に関連する2つの油絵が3Dプリントで再現されています。一つは、上海の中共二大大会址記念館に保存されている『西湖会議』であり、もう一つは、上海の孫中山故居記念館に保存されている『孫文と李大釗の面会』です。

新設の展覧会はまた、『新青年』に掲載された李大釗の『青春』一文を氷のスクリーンで展示されます。電子スクリーンには、『私のマルクス主義観』(原題:我的馬克思主義観)が展示され、観光客がページごとに読むことができす。3D写真で中国共産党第一次全国代表大会会址を示しています。展覧会ではまた、様々な文献資料を使用して、『監獄での自述』(原題:狱中自述)のために特別に15分間のビデオクリップを制作しました。

李大釗烈士陵園には、リアル書店である「青春書苑」が開設されます。書店は、李大釗や党史に関する書籍を揃え、関連する文創商品を開発し、革命文化を広めるための文化活動を行います。

住所:北京市海淀区香山東万安里一号、万安公墓院内

お問い合わせ:010-62591044

交通機関:西郊観光線と630番バスに万安駅があります。入り口には駐車場があります。

注意事項:追悼活動、展覧見学を行う際には、事前に予約する必要があります。1日の最大収容人数は800人、展示室内の瞬間最大収容人数は50人です。

八宝山革命公墓

五年以上十数回の改修と改良を経て、2019年6月に記念公園の建設と烈士遺骨の移転が完了しました。八宝山革命公墓烈士記念園は陵園と公園を統合しています。八宝山革命公墓の全体的なデザインは、「並木草地」を基調、「革命精神」を主題にして、犠牲した英雄を慰め、新たな力を奮い立たせ、献身的な精神が生き続け、世代から世代へと受け継がれていくことを目的としています。

烈士記念園は、績満丰碑区、星火相承区、光輝永鋳区の3つのエリアに分かれています。北側の中央には、小さな広場とテーマ別の彫刻が配置され、烈士の埋葬儀式や家族の墓参りのために使用されています。広場の中央には紅旗の彫刻があり、広場の左右には大規模な「烈士群彫」があり、革命烈士の輝かしい姿を強調し、過去から未来に向けて「家族を保護し、国家を防衛する」という使命の継承を象徴し、「国家の富強、民族の振興」という美しき願望を託します。

八宝山革命公墓烈士記念園にある墓石は、中国共産党への忠誠を表しています。革命烈士たちは血と命で私たちの幸せな生活を創りました。烈士を追想し、歴史を銘記し、革命烈士の光栄ある伝統を継承してこそ、祖国をさらに強大に築くことができます。

住所:北京市石景山区石景山路9号【劉一都 訳】

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