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京劇の名作が伝える京劇の魅力

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 正真正銘の中国の国粋として、北京城での登場によって名高くなった京劇は200年余りに渡って変化発展してきています。その間、多くの京劇の名作も生まれました。登場人物の性格と運命を表せるくまどりはその一番の特色です。北京の伝統文化における最も独特な内包と代表性を持つ文化財として、これらの作品は中華文化を広げるための有力な名刺になっています。

 京劇は歴史物語を演じることを主としています。現在は主に『三国志演義』、『西遊記』、『水滸伝』、『隋唐演義』、『岳飛伝』などの歴史物語を描く伝統的な文学作品に基づく演目やその他の新編歴史劇、現代演目などがあります。それでは、いくつかの代表的な演目を紹介しましょう。

 『孫悟空』

 京劇の人気演目である『西遊記』といえば天下無敵の孫悟空。初めての方にとって、やはり『孫悟空』は人気がありますし、わかりやすいと思います。京劇の中でも多くの人に親しまれている「孫悟空大鬧天宮(だいとうてんきゅう)」は、天下無敵の神通力を身につけた孫悟空が天界で大暴れする痛快な物語です。この演目は日本でも上演したことがあります。

 「西遊記」は明の時代の小説が元になっています。孫悟空は本拠地、花果山で子猿たちを手下に「猿の王様」を名乗っていました。孫悟空に如意棒を奪われたと龍王が天の玉帝に訴え出たところ、孫悟空に役職を与えておとなしくさせようという太白金星の策が採られ、孫悟空に弼馬温という馬屋番の役(下っ端役人)が与えられました。だまされたと怒る孫悟空は、大暴れしたあげく花果山に戻りました。玉帝は孫悟空を討伐しようとするが、再び太白金星が桃園の見張り番をさせる懐柔策を提案しました。桃を採りに来た仙女たちから自分だけが宴会に招かれていないことを聞いた孫悟空は、怒り心頭に発し宴会場に乗り込みました。

 京劇は、歌が中心の文戯と、立ち回りが中心の武戯と二つに大別されるが、孫悟空ものは立ち回りが多い芝居です。

 『鴻門宴』

 『鴻門宴』は日本では鴻門の会として知られる項羽と劉邦との会談の話を演じたものです。秦の始皇帝が死んだあと、天下は乱れました。劉邦は、項羽よりも先に秦の都を占領し、項羽は嫉妬し、鴻門の地まで軍をすすめてきました。劉邦は釈明のため、鴻門に駆け付けました。項羽は劉邦の釈明を聞いて許すが、項羽の参謀である范増は、宴会の席上で劉邦を暗殺しようとします。しかし劉邦は、家来の機知と活躍で、からくも危機を脱しました。

 「鴻門の会」は、司馬遷の著した『史記』の項羽本紀や、『十八史略』に記述され、古くから日本人に親しまれてきました。

 『貴妃酔酒』

 『貴妃酔酒』は中国の京劇俳優として有名であった梅蘭芳の名作の一つでした。梅蘭芳は、日本歌舞伎界の女形、坂東玉三郎が尊敬してやまないという「四大名旦(女形)」の1人であり、20世紀前半に海外公演(アメリカ、ソ連、日本)を成功させた謎の多い人物でもあります。

 『貴妃酔酒』は1914年から演じられています。皇帝と花を観賞しながらお酒を飲む約束をした貴妃は明皇を待つが、約束の時間になっても明皇はこないでした。実は、明皇は別の女性のもとに行ってしまい、それを知った楊貴妃は1人酒を飲みながら憂さをはらすという後宮に身を置く女性の嫉妬・猜疑心・悲哀を描いたものであります。

 『覇王別姫』

 『覇王別姫』とは項羽と虞妃との最期の別れを演じた物です。『貴妃酔酒』と同じように、『覇王別姫』も梅蘭芳の名作の一つでした。『覇王別姫』はチェン・カイコー監督、レスリー・チャン主演の映画によって有名になり、これらの名前を聞いたことのある人も多いのではないだろうか?内容は秦代の末期、西楚の覇王項羽が漢の劉邦に囲まれ四面楚歌となり、覚悟を決めた項羽と妃の虞姫は酒を飲み交わし、虞姫は別れの剣舞を舞い、その後自決するという悲しい物語です。

 軍営の帳のなかで虞美人が舞い、項羽が悲歌する場面は、劇中でもっとも精彩をはなっており、この場面の悲壮な歌とセリフは、英雄と佳人が生死の関頭に立ちながらもたがいに相手の身をおもいやるやさしい気持ちや、彼らの毅然として屈しないつよい性格をよくあらわしています。

 剣をとって舞う虞美人の舞姿は、古典舞踊劇のやさしい舞い姿にきびきびした武術の型をくわえたものであります。  

 『鎖麟嚢』

 『鎖麟嚢』は中国の京劇の名優の程硯秋の代表作であります。また最近、中国では『Dear Parents』というドラマがヒット作の中に、中国の女優であるヤン・ニー (闫妮)が演じる女性主人公も『鎖麟嚢』を演る京劇の名優です。このドラマを通じて、『鎖麟嚢』という作品もより多くの若者に知られています。

 登州の薛という豪商には湘霊という娘があり、嫁入りの日、湘霊の母は鎖麟嚢に珠玉を入れて、早く子が授かるようにと贈りました。途中にわか雨にあい、春秋亭に雨宿りしました。もう一つの花かごが雨宿りにやってきたが、花嫁は悲しげに泣いていたため、湘霊は理由を尋ねさせました。その娘は趙守貞といい、盧氏に嫁ぐところで、母は早くに亡くなり、老父と寄り添いあって生きてきたが、家が貧しく離ればなれになり、世話をする人がないことを考え、感極まって泣いていました。湘霊は憐れんで、鎖麟嚢を贈ると、雨が上がったため、名も告げずに別れ出立しました。

 六年後、登州は洪水に見舞われ、湘霊は莱州に流れ着き、当地の富豪・盧氏の家に子守として雇われることになりました。ある日、湘霊が盧氏の子の天麟と鞠を投げて遊んでいたところ、天麟が鞠を楼に投げ入れてしまい、湘霊に取りに行かせました。湘霊は楼に上って鞠を探すところ、刺繍の嚢が掛けてありました。それは春秋亭で贈った鎖麟嚢であり、湘霊は感極まって慟哭してしまいました。天麟の母は趙守貞であり、事情を問いただして恩人であると知り、上客として歓待しました。まもなく、湘霊の夫・子も見つかり、一家は団円、湘霊と守貞は姉妹のちぎりを結びました。

文・北京旅行網

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