北京観光ガイド│北京2泊3日ツアー

2021-09-14

北京は中華人民共和国の首都であり、悠久な歴史、きらびやかな文化、奥深さを持っています。同時に山紫水明で風光明媚、四季折々の美しい景色があります。北京を訪れるとどう遊べばいいのでしょう?多分多くの方が初めて北京を訪れ観光されるときに考える問題だと思われます。観光される皆様に北京をより楽しんで頂く為、ここで少し皆様のために北京の「N泊旅行」シリーズで攻略法を記事にさせてもらいます。

もしも北京で三日間遊べるのであれば、どこで遊べばいいのでしょう?

初日:「皇家園林」を散策

頤和園

頤和園メイン景観区は万寿山、昆明湖が組み合わせられており、園内全体の専有面積は3.08平方キロメートルで約3/4が水面で占められています。園内には各式の宮殿、庭園7万平方メートルが現存し、合わせて世間でも名の知られている貴重な文化財所蔵品があり、第一期の中国重点文化財保護単位で5A景勝地となっています。

頤和園の前身は清漪園といい、清朝乾隆15年(西暦1750年)に建てられ、咸豊十年(西暦1860年)イギリス・フランス連合軍に焼き払われました。光緒12年(西暦1886年)、慈禧太后(西太后)の休養所として清朝廷は海軍経費など金額を流用して再建を始め、2年後に今の名前に置き換えられました。1900年にまた8カ国連合軍によって破壊され、1902年に修復されました。中華人民共和国成立後、幾度かの改修を経て、四大部洲、蘇州街、景明楼、澹寧堂、文昌院、耕織図など重要景勝地を建て続けて修復しました。

頤和園は伝統的な造園芸術が集まった大成であり、周囲の山水環境の景色を借り、皇室庭園の壮大で美しい気勢をすでに持ちつつ、自然の趣を満たしており、中国庭園の「雖由人作,宛自天開(人の手で作られているとはいえ、空を切り開くようである)」の造園基準を高度に体現したものです。

1998年12月、頤和園はユネスコから「世界遺産リスト」に登録され、次のような評価をもらいました。北京の頤和園は中国風景の庭園造園芸術に対する傑作が表したものであり、人が作り出す景観と大自然の調和を一体化しています。頤和園は中国の造園思想と実践についてまとめて体現したものであり、この思想と実践は東方全体の庭園芸術文化形式の発展に重要な役割を果たしています。頤和園を代表とする中国皇室の庭園は世界数大文明の一つであるという象徴となっています。

頤和園は皇室の庭園として、文化の奥深さを持っているだけではなく、自然風景も非常に美しく、かつ四季それぞれの美を持っています。春は咲き誇る花で、特に昆明湖西岸の桃の花の開花は「紅堤緑柳美如画(朱の湖岸と緑の柳美は絵のごとし)」と言われています。夏は昆明湖上に浮かぶ船で、いけと山水が目の前に広がります。秋は庭園が紅葉でいっぱいになり、特に毎年中秋と十一(国慶節休み)期間はキンモクセイの香りが園内を満たし、心にしみわたります。冬至の前後、十七孔橋の最も有名な景観には「金光穿洞(金色の光が孔を貫く)」と呼ばれます。晩冬、昆明湖は天然の屋外スケートリンクに変わり、運が良ければ西山が晴れ渡っている雪の景色を楽しむことが出来ます。

円明園

円明園は康煕46年(西暦1707年)に建設が始まり、圓明、長春、綺春の三園からなっています。専有面積は350ヘクタール(3.5平方キロメートル)、建築面積は約16万平方メートルで、清朝の皇帝が150年余りの間建設し運営してきた大きな皇室の宮中庭園です。

円明園はかつてその壮大な規模、卓越した施工技術、精緻な建築景観、、豊富な文化財と博識が広くて深い民族文化で世間に親しまれており、「すべての造園芸術の模範」及び「すべての庭園の中の庭園」と呼ばれていましたが、1860年10月イギリス・フランス連合軍によって略奪に遭い炎に包まれました。

1976年11月、円明園管理所が設立、1988年1月に円明園遺跡公園は中国重点文化財保護単位として公布され、1988年6月29日正式に円明園遺跡公園は対外開放されました。1990年、1993年二回の土地収用を経て、円明園遺跡公園は全盛期の圓明園規模全体の土地使用権を回収しました。1996年9月には六部委員会から愛国主義教育基地として指定を受けました。1998年11月、円明園遺跡公園は北京市国防委員会から「北京市国防教育基地」として指定を受けました。

2000年9月、国家文物局から正式に『円明園遺跡公園計画』の批准を得ました。2010年10月12日「北京新16景」の一つとして選ばれ、北京の魅力を代表する名刺の1ヶ所となっています。現在は国家5A級観光エリアとなっています。

現在の円明園遺跡公園は遺跡をテーマに、しっかりとした歴史と活気に満ち生気に溢れる庭園の雰囲気が融合した独特の観光景観を形成しています。円明三園開放区内の山の形と運河は基本的に歴史的な風貌を取り戻しており、寄りかかった山と水、朦朧とした煙と水が人々を魅了する景色を再現しています。初期は松、竹、柳、ハスをテーマとした植物景観、数十万株の樹木が生い茂った林、錦のように美しさを持つ季節の花で形成されています。いくつかの重要な遺跡は保護修復が行われ、綺春園の新宮門や鑑碧亭、長春園ヨーロッパ式迷路など復元された一部の庭園建築は在りし日の面影を再現しています。一部の建築物の基礎が探し出せており、数多くの築山が元通り見られるようになり、西洋楼遺跡の石彫跡が更に人の注目を集めています。遺跡公園全体は西洋楼を代表とする宏大な大遺跡群をすでに形成し、人々に重たい歴史の啓発をもたらしています。大自然の息吹が溢れる山林の美しさ、遺跡としての特色、公園としての機能などがあり、なかなか訪れることのできない貴重な憩い、旅行の場所となっています。

変遷を経てきた円明園、たとえ大水法遺跡が災難にあった後の荒れ果てた光景と言われると、園内には随所に多くの大きな石が見られ、そばの説明を見ても、これらの場所がかつて殿堂楼閣だったことを全く思い浮かべられないでしょう。迷宮遺跡も訪れるべき場所の一つです。園内にはもう一つ見忘れることの出来ない場所があり、十二支の首を復元したものです。室内には十二支の動物の首の映像が紹介されています。これらの国宝はすでに祖国の中国に戻ってきているものもあれば、未だ何処にあるかわからないものもあります。円明園を観光されると、世の中の苦労を深く感じ取り、御自身の愛国主義への気持ちを奮い立たせるでしょう。

正覚寺は円明園内で唯一の現在まで保存されている古建築物で、清朝の歴史及び圓明園の建築スタイルを研究するのに重要な意義を持っています。

自然景観的に観ると、円明園の春は鮮やかな花が園内で咲き誇り、夏に最も心地よくさせる景色は園内で咲き誇るハスの花で、巨大な湖面の上を、遊覧船がハスの花の間を通り抜け、景色は白洋淀に匹敵します。秋は紅葉でいっぱいになり、特に東門の近くの銀杏大道は人の目をひきつけています。冬は厳かで、また別の情緒があります。

円明園で遊び、もしも美味しいものを食べたくなれば花家怡園に行くと良いでしょう。このレストランは円明園近くで比較的有名なレストランで、主には北京料理で、北京ダックや京八件(北京の8種類の有名菓子)などが出されています。比較的特色を持ち人気な料理としては、八爺乳鴨、怡園覇王鶏、八旗小羊排、花家白菜などで、環境もよく駐車も便利です。

二日目:天安門広場周辺観光

天安門広場

500年以上の風雨を経て、天安門広場は歴史を目の当たりにしてきました。天安門広場は、今でも世界最大の広場です。明・清時代の天安門広場は、北京の紫禁城正門外の宮殿広場で、東・西・南の三方を城壁で囲まれ、庶民には禁断の場所でしたが、今では出入りが許可されています。

天安門広場は、北は天安門から南は正陽門まで、東には中国国家博物館、西には人民大会堂があり、面積は44万平方メートルに及びます。広場の中央には「人民英雄紀念碑」と荘厳な「毛主席紀念堂」、広場の西側には「人民大会堂」、東側には「中国国家博物館」、南側には14世紀に建てられた「正陽門」と「前門箭楼」の2つの古城楼があり、広場の北端には「天安門城楼」があります。

北京に来る観光客は誰でも、天安門広場での国旗掲揚を見たいという願望があります。これは難しいことではなく、ただ早起きすればいいのです。現在は1年の中で最も昼間の時間が長い時期で、気温は高すぎず低すぎず、天気も暑くも寒くもないので、自分を励まして早起きして天安門広場に行き、一度でいいから国旗掲揚を見てみましょう!

中国国家博物館

中国国家博物館は北京市の天安門広場東側に位置する総合博物館で、21世紀の到来を歓迎するために建設されたものです。国家博物館は総面積が約20万平方メートルもある世界最大級の博物館です。地上5階地下2階建てで、建築の高さは42.5メートル。本建築物は両軸と両区からなっています。両軸とは西門から東門に延長する東西軸線と南から北への南北軸線のことです。両区とは中軸内の中央ロビーにより仕切られた南北両展覧区のことです。

現在の展覧ホールは48個所にも達したが、その面積が最大2000平方メートル、最小800平方メートル近くです。ほかに、800席の劇場とほぼ300席の会議場(兼デジタル映画館)、600平方メートルを有するスタジオ、2800平方メートルをもつ図書館も揃っています。

三日目:什刹海→南鑼鼓巷

NO.1 什刹海

什刹海は北京の西北端に位置します。西海、後海、前海の三つの水域で構成されており、京杭大運河の北端の終点であります。

前三海(北海、中南海)と区別するため、什刹海または後三海と称されている。昔の北京に、「先に什刹海あり、後に都市北京あり。」という諺があります。什刹海は北京発祥の地といわれています。これは北京市ができる前にこの地に什刹海が既にあったことを物語っております。

ここには自然景観と人文景観が集まっており、文化財や遺跡が多く残る場所であります。歴史が古く、景色が美しく、国家観光局より4A級の観光地に選ばれました。

NO.2 南鑼鼓巷

昼間に什刹海を散歩し終わり、夜まだまだ歩けれるようであれば北京で最も人気のある胡同--南鑼鼓巷を散歩すると良いでしょう。南鑼鼓巷は元の時代に建てられたもので、中国で唯一元の時代の「魚の骨」のようで、碁盤の目のような構造で居住エリアを並べた北京の胡同が残されています。かつて歴代の高官が居住し、740年以上の歴史を擁する遺産であり、元の時代からの異なる建築スタイルが集まっています。

現在の南鑼鼓巷は店舗が林立し、北京に来る観光客がかならず訪れる場所の一つです。

店内に進むと濃厚な香りがし、装飾スタイルもまた、非常に濃い中国スタイルで、「中国最初の化粧」"と呼ばれており、これらを見ると張愛玲の書き残した上海風情を思い出してきます。この店では各種石鹸が売られています。南鑼鼓巷はいくつか似ている化粧品店があり、売られている商品も似ています。どうやらこれらの商品はとても人気があるようです。

シルバーアクセサリーの店も南鑼鼓巷では1店だけではありません。現場で製造してくれるので観光客にとても注目されています。

南鑼鼓巷で最も北京らしい小店は「吹きアメ細工職人」技術を持つ小店です。北京らしい味に多くのおじさんが、黄色く焦げたカラメルに一本の竹串を加え、「吹きアメ細工職人」が必要なすべてのものがここに揃っています。興味をお持ちの観光客が吹いてみたいと思えば、おじさんが竹串でカラメルを少しすくい、吹き込みます。観光客が直接吹き込んでできたアメの塊は中空で、ゆっくりと膨らみ、おじさんの器用な手で最終的に異なる種類の可愛い動物に変えていきます。「吹きアメ細工職人」の最も不思議なことはなぜこのカラメルの塊がおじさんの手を経て一本の中空のストローになるのかです。もしかしたら、これは「吹きアメ細工職人」が無形文化遺産になる鍵なのかもしれませんね。

電子製品の普及に伴い、紙ベースの手紙は段々と歴史舞台から失くなろうとしているだけではなく、絵葉書等かつて一時期多くの人から人気のあったお土産も人々の視線から消えていこうとしています。しかし、南鑼鼓巷で絵葉書をメインに売っている小店は何店かあり、しかも観光客から非常に人気を得ています。多くの観光客はそれぞれ自分の心に残る代表的な北京の絵葉書を選んだ後、店主が提供する消印を浮かれた気分で押しています。これらの小店では絵葉書以外にもアート色豊かなノートや飾り物、キーホルダーなどが売られています。

南鑼鼓巷ではにぎやかな各スタイルの小店の間に、多くのバーがあります。喧騒とした街並みと比べると、バーの中は静かでぼんやりしています。普段、バーの中の観光客は一人で晩酌したり、もしくは二人で酌み交わしたり、何人かの少人数で集まっており、見たところ調和しているようです。この場面を見るとあたかもある種の「街の中に立ち風景を見て、風景を見ている人は屋内から見る」といった感覚に襲われます。バーの観光客ももしかするとゆったりとして北京の胡同風情を味わっているかもしれませんね。

遊んでいる時、最も楽しいことは散歩しながら食べ歩くことではないでしょうか?北京で一番人気のある胡同、南鑼鼓巷のグルメも自然と多くなります。南鑼鼓巷では「南鑼十大グルメ」的な名物が随所に見られます。食べたいと思えばいつでも買えます。例えば蟹黄湯包(カニミソスープまん)や吉食果(中国式チュロス)、双皮奶(ミルクプリン)など南鑼鼓巷のグルメの最大的な特徴は美味しいだけではなく独特だということです。これらのお菓子はまず外形がそれぞれ異なり、これだけでグルメたちの好奇心を引き寄せます。このように普通と異なる食べ物を食べてみたいと思わない人はいないでしょうね。

北京の代表的な観光スポットには当然ながら北京の特産品店もないわけではありません。ここには專門に果脯(砂糖漬けのドライフルーツ)等携帯しやすい北京の特産品店や老舗、南鑼民族文化館等のような店もあります。

土地代の非常に高い南鑼鼓巷には、遊ぶだけではなく宿泊できるところもあります。多くの観光客に知られている北平国際ユースホステルは南鑼鼓巷のメイン通り西側の胡同の中にあります。

このユースホステルの「正門」は非常に小さく、小さな一枚扉です、この「小さくて精巧な」外観も南鑼鼓巷の雰囲気と十分にマッチしています。

文・北京旅行網

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