北京の世界遺産・頤和園を徹底ガイド!

2021-11-09

頤和園は一番完璧に保存されている行宮と庭園で、巧みに考案された回廊、壮観な十七孔橋などの景観は皇室庭園の優雅で荘重な風格を描写しています。頤和園は北京のシンボルの一つであり、北京の一日観光の絶好のスポットでもあります。世界遺産にも登録されている中国屈指の名園の歴史と魅力をご紹介しましよう。

➤北方山川の雄大さの最大の体現、万寿山

万寿山は燕山山脈の一部に属し、高さは58.59メートルです。清の乾隆16年(1751年)に万寿山と改名し、昆明湖の拡張で発生した土砂を造園の必要に応じて山に積んで、園全体の主体となりました。前山は仏閣を中心に、巨大な主体建築群を形成しています。

➤頤和園の中心エリア、昆明湖

昆明湖は元来北京の西北の郊外にある多くの泉が集まってできた天然の湖です。江南の風景に酷似するため、西湖、西湖景の誉れがあります。乾隆皇帝が清漪園を建立した際に、湖を現在の規模に拡張し、漢武帝が長安で昆明池を開削して水戦を演じた故事をとって昆明湖と命名しました。

➤乾隆帝の散歩道、長廊

「長廊」は乾隆15年(1750年)に創建され、「英仏連合軍」によって焼き払われた後、光緒12年(1886年)に再建されました。東は邀月門から西は石丈亭まで、273のユニットがあり、全長は728メートルです。梁には人物、山水、花鳥などの彩画が8000枚以上も描かれており、中国の古典庭園の中で一番長い回廊です。

➤光のトンネル、十七孔橋

十七孔橋は清の乾隆15年(1750年)に建てられました。東は東堤、西は南湖島に接して、全長150メートル余りで、中国の皇室庭園の中で現存する一番長い橋です。毎年の冬至前後になると、頤和園十七孔橋には、滅多にお目にかかれない光のトンネルの絶景が広がるようになります。

➤皇帝が愛した蘇州街

蘇州街はもともと売買街と呼ばれ、清の乾隆時代に江南の水郷を模して建設されたもので、清代の皇帝と皇后が市を見物するための水街です。沿岸に茶楼、酒楼、薬局、銭荘、帽子屋、菓子屋など60余りの店舗があり、18世紀の中国江南の商業文化の雰囲気を醸し出しています。

➤頤和園のシンボル、仏香閣

仏香閣は三階構造で八角の形をしており、廂が四重あります。高さは36.44メートルで、20メートルの石造の台の上に厳かに聳え立って、頤和園全体の構図の中心となっています。8本の全閣の上下を貫く鉄梨木製の柱に引き立てられて美しく荘厳で、きらきらと輝いていて、珍しい文化財として極めて高い芸術的な価値もあります。

➤苦難の近代史の目撃者、銅牛

銅牛は乾隆20年(1755年)に鋳造され、「金牛」と呼ばれます。紋様が付いた石の座に伏して表情は生き生きとしていて、まるで本物の牛のようです。牛の背には乾隆皇帝の書いた80字の篆書体の銘文―「金牛銘」があります。

➤慈禧太后の居住地、楽寿堂

楽寿堂は乾隆15年(1750年)に創建され、元は二階で、咸豊10年(1860年)に「英仏連合軍」によって焼却されました。光緒12年(1886年)に改築され、園内で慈禧太后の居住地となりました。

➤光緒皇帝を幽閉した場所、玉瀾堂

玉瀾堂は乾隆15年(1750年)に創建され、咸豊10年(1860年)に「英仏連合軍」によって焼失したが、光緒12年(1886年)に再建されました。玉瀾堂は光緒皇帝の園内の寝殿です。光緒24年(1898年)戊戌の変法が失敗した後、慈禧太后は人に命じて宮殿を閉鎖させ、玉瀾堂は光緒皇帝を幽閉した場所となりました。【叶威 訳】

北京旅游网翻译

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