天壇から見る中国の伝統的な建築技法と宇宙観

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 天壇は北京市の南部にある東城区永定門内通りの東側にあります。敷地面積は約273万平方メートルになります。天壇は明朝の永楽18年(西暦1420年)に建てられ、清の乾隆と光緒時代に改築されたことがあります。

 天壇は、世界の文化遺産でもあります。その凝らされた建築レイアウト、独特の建築構造および壮大な建築装飾により世界に名を馳せています。内壇と外壇に区切り、敷地総面積が約270万平方メートルです。主体建築物は内壇にあり、南北貫通の通路である丹陛橋により、圜丘壇、皇穹宇に代表される南の建築物と、祈年殿、皇乾殿に代表される北の建築物が繋がっています。内壇の周辺は外壇、外壇の周辺はヒノキに囲まれて、主体建築物グループはより一層荘厳・雄大となりました。祭壇の内部には、回音壁、三音石、対話石などが音響の原理を使用して巧妙に構築されており、古代中国の建築職人の発達したレベルを完全に示しています。天壇公園は、保存されてきた中国最大の祭壇建築物グループとも称されています。

 天壇は二重の壁により内壇と外壇に区切り、いずれも北が円く、南は方形という構造となっています。天地のイメージを壁に具体化し、天は円く、地は方形であるという古代中国の宇宙観を象徴するためでした。外壇の壁は、もともと東・南・北側に門がなく、永定門内通りに臨む西側だけが2つのドアがありました。一つは明朝に構築された「祈谷壇門」で、もう一つは乾隆17年(西暦1752年)に増設された「圜丘壇門」です。どちらも3つのアーチスタイルで、緑のガラス張りの入母屋造が特徴でした。現在の外壇には北門と東門がありますが、これらは1975年以降に増設されたものです。内壇の中央には圜丘壇の北壁として、東西貫通の隔壁があります。この隔壁は、両軸線部分で円弧状に北向きに突出し、皇穹宇の外壁を迂回して、東西内壇壁に接続するので、祈谷・圜丘两壇は2つの地域に区切りました。

 それぞれ内壇の南・北にある圜丘壇と祈谷壇は、南北中軸線の両端に分布し、中央は長さ360メートル、幅30メートルの神道(丹陛橋)によりつながっています。主体建築物として、圜丘壇には圜丘台(祭天台)、皇穹宇(奉神殿、神庫・神厨、宰牲亭)など、祈谷壇には祈年門、大祀殿(祈年殿)、東・西配殿、皇乾殿、長廊(七星石付)、神庫・神厨、宰牲亭などがあります。

 「天壇」は、祈谷壇と圜丘壇の総称として、二重の塀に囲まれて、いずれも南方北圓(南は四角く北は丸い)の形をとった内壇と外壇に区切ります。壇内の祭祀建築は四面も門が設置された内壇に集中しています。両壇を繋ぐ軸線は、長さ360メートル、幅28メートル、高さ2.5メートルの煉瓦敷台で、「神道」、そして「海墁大道」、「丹陛橋」とも呼ばれています。これは天国への長い道のりを意味します。圜丘壇建築物グループは、明・清朝の皇帝が天を祭る祭壇として、中軸線の南端に位置しています。圜丘壇の北方向には皇穹宇があります。祈谷壇が中軸線の北端に位置して、祈年殿という主体建築物のほかに、祈年門、皇乾殿、東・西配殿、燔柴炉、瘞坎、磚門などの建築物もあるし、72連房、神厨、宰牲亭などの付属建築物もあります。圜丘壇、祈谷壇の付属建築の多くはその東に位置するので、天壇の西地域を広く見せます。内壇西天門内での南に偏る方向では城の堀に囲まれて、「斎宮」と称される宮城があり、これが皇帝が祭祀を行う前の斎戒断食所でした。

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