中華民族名医人物伝:孫思邈

2022-03-17

孫思邈は中国ないし世界史上有名な医学者・薬物学者であります。その生年には異論があり、581年生まれ、560年生まれ、541年生まれの3つの説がありますが、682年に亡くなったことが確実に記載されているため、少なくとも101歳の寿命であったと考えられます。したがって、孫思邈は紛れもない高寿の人で、中国の史上の最も長生きした医家です。唐の太宗李世民は彼を「百代の師」と賞賛し、宋の徽宗はこれを「妙応真人」と名付けたので、孫思邈は「孫真人」と呼ばれました。彼は今日まで伝わる医学の二大著作を著し、「薬王」として後世に尊ばれています。

孫思邈が若いころ、体が弱く、しかも戦乱が頻繁で、税金も重かったため、人々は生活に困っていました。疫病が流行し、死体が野にあふれているのを見て、孫思邈は医学を志し、豊富な薬学知識と臨床経験を蓄積しました。

孫思邈は、暇を見つけて執筆に励み、『備急千金要方』を書きました。三十年後には『千金翼方』を著し、前書の不足を補いました。この2冊はそれぞれ30巻で6500以上の処方を収録し、内・外・婦人・小児・五感など漢方のすべての臨床分野と、鍼灸、食療、健康管理などを扱っています。自らの臨床実践と学問思想を盛り込んだだけでなく、少数民族や外国から入ってきた医学知識にも触れ、内容は非常に豊富で、中国最初の医学実用百科事典と言えます。医学の普及と大衆への健康教育の思想を『備急千金要方・序』に明確に示していますが、これは当時には先進的であったに違いありません。孫思邈のもう一つの重要な特徴は、女性と子供の健康に重視したことです。『備急千金要方』は病気を治すことを論じて初めて婦人科、小児科を論じました。これは総合的な医学書の中で未曽有ので、後世の婦人科・小児科の発展に極めて重要な役割を果たしてきました。

孫思邈は薬物についても深く研究しており、『千金翼方』には800種以上の薬物の記録があり、その栽培、採取、加工、貯蔵、調合と味、効能、主治、処方などが記されています。彼は名山・名水を巡り、地理・風土を調査し、本草の利用、自然薬の自家採取と医師自身による加工を提唱しました。また、竜脳や安息香などの外来薬も多く収録されています。同書は中国のみならず海外にも広がり、日本や朝鮮にも大きな影響を与えました。

また、孫思邈は病気の予防を重視し、予防第一の考えを提唱しました。個人の衛生と運動を重んじ、食・薬・養生・保健を組み合わせて病気を予防・治療する考えを打ち出しました。

そのほか、孫思邈は一般的な病気や多発する病気への研究を非常に重要視していました。 例えば、山間部の人は食べ物に含まれるヨウ素が不足して甲状腺腫の病気になりやすいです。この病気は山の汚れた水が原因だと考え、海藻などの海草や動物の甲状腺を使って治療したところ、より良い結果が得られました。長期の実践の中で、孫思邈はまた赤痢、サナダムシ、夜盲などの病気を治療する特効薬の処方を総括してきました。

孫思邈は養生を尊んで、多くの切実で実行可能な養生方法を提出しました。これらの方法は今なお人々の日常生活を導いています。例えば名利にとらわれずバランスのとれた精神状態を保つこと、食べ過ぎずに適度な食事をすること、自然の法則に反せず正常な生活日常的な送ることなどです。(劉娜 訳)

北京旅游网翻译

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