中華民族名医人物伝:華佗

2022-03-11

中国の最も古い麻酔薬「麻沸散」は、後漢期の名医「華佗」が発明されたものです。

「麻沸散」っていったいなにもの?

『後漢書・華佗伝』に記述があるように、華佗は「麻沸散」を外科手術に利用する第一人者です。「麻沸散」の処方はまだ謎ですが、麻酔効果のある薬物に関する古文書から、構成薬物はおおよそトリカブト、エピロビウム、マンドレークの花であると推測されます。

文献に残る記述から、こういう薬物はすべて毒性があることが記録されています。量を適正に処理しないと、トリップ、意識がなくなり、さらに呼吸中枢の抑制を引き起こすことをともなう副作用があります。極量以上に薬を飲むと、昏睡状態に陥り、死に至ることもあります。華陀は、鎮痛剤が麻酔術と表裏一体であることを発見し、その「毒性」を利用し、ちょうど良い麻酔の量で役に立つことができるのだと推測されます。

中医外科の開祖

華佗は「麻沸散」の発明者でもあり、中国の外科医学の開祖でもあります。華佗、字は元化、本貫は中国後漢末期譙県(現在の安徽省豪州市)です。彼はあらゆる臨床分野に通暁し、特に外科、鍼灸、養生の術を得意とします。『後漢書』、『三国誌』には、華陀の伝記が掲載され、彼のエピソードや治療の例が詳しく紹介されています。史書に記載される医者が少ないため、その時、華佗が高度な医療技術によって、有名になっていたことがわかります。

今残っている文献からみると、華佗は豊かで幅広い学問的思想を持ちました。養生の術に通暁し、「五禽の劇」という体操を創案し、後世の「導引術」に深く影響を与えました。触診・視診の熟練した手際にも感嘆させられました。また、見事な外科手術の腕を持っているため、「中医外科の開祖」と呼ばれました。鍼灸学においては、彼の名前にちなんで名付けられた「華佗夾脊穴」は、今でも臨床でよく使われるツボです。

また、華陀はその高潔な医者としての品質と誇り高くて不屈のバックボーンを持ち、後世の人々に尊敬されています。曹操は持病であった頭痛や脳卒中に悩まされ、とても辛かったそうです。華佗が鍼灸で治療に当たり、曹操の慢性頭痛を和らげる効果があったそうでした。曹操は華佗を引き留めようとしたが、華佗が自分の志があり、曹操の専属産業医になって欲しくないでした。そこで、妻の病気を理由に曹操の下に戻ってこようとしました。ですが、華佗が故郷に戻って帰りが遅く、何度も催促しても梨の礫でした。曹操はこの事に逆上し、病気があるかどうかを確かめるために、下部を派遣しました。調査した結果、妻の病気が偽りと判明したので、怒って華佗を殺してしまいました。

曹操の意に従わず殺された華佗は、死ぬ直面に、彼が一生かけて書いた医療書を「青嚢(緑の袋)」に入れて牢番に与えようとしたが、罰を恐れた牢番が断ると自らの手で焼き捨ててしまいました。このため、「青嚢」という言葉も漢方医の代名詞の一つとなっています。(資料提供/中国中医薬報 訳/陳丹丹)

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