旧正月の15日目に行われる元宵節は、旧正月後に初めて満月となる日であり、「元夜」、「上元」、「元夕」、「正月半」とも呼ばれています。この祭日のの縁起には諸説があり定かでないですが、古代中国の漢文帝(紀元前179年―紀元前157年)が周勃氏により諸呂の乱を平定した正月十五日を記念してこの日を元宵節と定めたという説があります。唐の時代から「元宵節」という名前が現れ、宋の時代の詩にも「元宵節」という名前がよく見られます。春節に続くもう一つの重要な伝統的な祭りとして、元宵の佳節には、万民が喜びを共にし、詩人たちも盛んに詩を詠じたので、たくさんの詩が残されています。元宵節の風習を記録・反映したものだけでなく、詩を通じて自分の気持ちなどを表現したものも多くあります。

●唐の詩で観る元宵節
唐の時代から、元宵節は過去の神秘的な雰囲気を徐々に取り除き、皇宮だけでなく、民間でも日々に普及してき、フェスティバルに変わってきました。それは唐の詩人に大きな創造的なインスピレーションをもたらしたので、元宵節に関する詩が多く残されました。
大まかな統計によると、清の時代に編集した『全唐詩』に収録された唐の2200人以上の詩人による48900以上の詩の中に、元宵節に関する詩の数は60以上あります。その作者は、唐の玄宗や文宗などの皇帝から普通の文人まで多岐にわたりました。彼らは自分たちの筆を通じて、生々しい元宵の活況を描きました。
例えば、唐の蘇味道に『正月十五夜』という詩があるが、元宵のきらびやかな情景を、あますところなく詠じています。
火樹銀花合 火樹と銀花は一つに合わさり
星橋鉄鎖開 星の橋は鉄の鎖を開く
暗塵随馬去 暗夜は群馬に随って去り
明月逐人来 明月は人に逐って来たる
遊妓皆儂李 遊妓は皆儂李にて語りあい
行歌尽落梅 その歌声は梅花を落とせり
金吾不禁夜 この金吾の禁じざる夜に
玉漏莫相催 玉漏よ催すこと莫れ
●宋の詩で観る元宵節
宋の時代、詩と詞は詩人がさまざまな内面の感情を表現し、社会と生活に関する考えを載せる媒体になりました。したがって、宋の時代のさまざまな季節の言葉の中で、元宵節に関するものが最も多いです。北宋の時代、元宵の詩と詞のは唐のものと同じように、主に元宵のきらびやかな情景を表現していたが、南宋の時代になると、元宵の詩と詞の内容は主に国が滅びた悲しみと別れの感情を表現していました。
例えば、宋の欧陽修の『生査子・元』では、今年の元宵の時、月も灯篭も去年と同じなのに、ただ去年の人は見えなかった。悲しみの涙は春着の袖をしとどに濡らしたという意が示されています。
去年元夜時 去る年の元夜の時
花市灯如昼 花市の灯は昼の如くなりき
月上柳梢頭 月は柳枝の頭にかかり
人約黄昏後 人は約す黄昏の後
今年元夜時 今年の元夜の時
月与灯依旧 月と灯は旧じ依れど
不見去年人 見えず去年の人
涙湿春衫袖 涙は春衫の袖を湿らす
唐と宋の詩は、中国の古代文学の宝物として、主に創作者の内面の感情を反映し、創作者が生まれた時代と社会的背景を反映しています。同時に、これらの詩から、中国の伝統的な元宵節の文化的意味と価値を垣間見ることもできます。



