紫禁城│明清両時代の皇后の寝殿として使用されていた坤寧宮

2021-11-23

坤寧宮は故宮の内廷の後ろに位置する宮殿の一つであり、1420年に建てられ、明清の時代に数回にも再建されました。「坤寧」は坤地が安寧するという意味が込められています。宮殿の広さは9間、長さは3間に相当します。瓦は黄色い瑠璃、屋根は二重の寄棟作りです。

坤寧宮は明清両時代の皇后の寝殿として使用されていました。最初に坤寧宮に住んだのは朱棣の皇后でした。その後、明のすべての皇后は坤寧宮を寝殿として、李自成氏が北京に侵入した際、明時代の最後の皇后はここで自殺したそうです。

清の時代、坤寧宮は依然として「正宮」と呼ばれますが、皇后は普段、坤寧宮に住んでいませんでした。ただ、結婚式の部屋として使われます。幼い時に即位した康熙、同治、光緒といった三人の皇帝や、遜帝溥儀が結婚した際に、坤寧宮にて二日程過ごした後に、乾清宮あるいは養心殿に移したのだと言われています。

坤寧宮のもうひとつの役割は、シャーマン教が神様を祭る場所として利用されていました。宮殿の中は満州族の風習に基づいて「袋形の部屋、コの字型オンドル、煙突が地面に立っている」という形に建てられました。ここでは毎日、毛色が真っ黒な二頭の豚を絞め殺して神に供え物として供えていました。また、王族、大臣や護衛官たちもその肉の一部を食べます。肉には塩がないから、味はあまり美味しくないが、坤寧宮で肉を食べるという行為は人々にとって、自身の墓碑に刻みたい程光栄なことであったとされています。

北京旅游网翻译

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