二百年の歴史を持つ京劇、中国最大の地方劇

2021-08-31

京劇は、中国の伝統的な古典演劇でもある戯曲の一つであります。平劇、京戯などとも呼ばれる京劇は、北京を中心に全国に広がる最も影響力のある中国の地方劇です。京の名が付きたが、元々は中国の南部で発展してきたものです。

起源

京劇は清の乾隆帝時代に始まり、その前身は徽班(中国安徽人の劇団)でした。当時、社会経済の発展と昆劇という中国の伝統演劇の節回しの台頭に伴い、中国各地の文学者や豪商が次々と自らの劇団を育てました。すでにビジネス界でその地位を確立している安徽人の商人もそれに続いていました。安徽人の商人が所有している劇団は「徽班」と呼ばれています。その中、安徽省安慶市懐寧県で生まれた「石牌調」が最も有名でした。

「石牌」は中国安徽省安慶市懐寧県の小さな古町(鎮)です。清の時代、地元の住民以外に、そこに滞在していたのはほとんど往来していた船隊や商人でした。物質的にある程度豊かになったので、人々は自分の心の豊かさ重きを置きました。町の民俗文化も徐々に発展してきています。

当時、石牌には800もの劇場がありました。郝天秀、程長庚、楊月楼など京劇の有名な俳優の多くは、この地域の出身です。 京劇の多くの発音が北京の地元のなまりとは異なっていることに気付く人も少なくないでしょう。しかし、安慶地域の方言を聞いてみると、これらの発音は安慶地域の方言とまったく同じであることがわかります。

安慶市は中華民国初期から民衆の大劇場があります。当時の中国全国の有名な京劇の俳優はほとんどそこで演出したことがあります。安慶市は京劇の発祥の地とされており、俳優たちも「聖地を参拝する」ような気持ちで舞台に立ち上がりました。

その後、安慶市の石牌という小さな古町で生まれた徽劇は町から北京へ進出しました。「四大徽班」の北京入城の輝かしい歴史は今でも石牌の誇りです。

「四大徽班」の北京入り

1790年の秋、清の乾隆帝の80歳を祝うため、揚州で商売をする塩商人である江鶴亭(安徽省出身)は、安徽省安慶市で「三慶班」という徽劇班を成立し、俳優の高朗寧が劇団を率いて北京入りをしました。「三慶班」は主に二黄調という節を演じる劇団で、時には昆曲(昆腔を用いる伝統劇の一種)、吹腔(安徽省の地方劇の節回し)や秦腔などを演じていました。 お祝いの演出の規模が極めて壮大で、中国各地の優れた演劇が集まっていました。当時の西華門から西直門外にある高梁橋まで、数十段ごとにステージが設置されました。この芸術のコンペティションでは、初めて北京に足を踏み入れた「三慶班」が注目を集めました。「三慶班」の高朗亭は安徽省安慶出身で、当時はわずか16歳でした。高氏は二黄調に長け、その歌や立ち回りは北京で絶賛されていました。

「三慶班」に続いて、「四喜班」、「和春班」、「春台班」などの徽劇班も北京に入城し、北京を拠点とするようになりました。これは「四大徽班」の北京入りといわれています。その後、四大徽班は徐々に北京の演劇業界で主導的な地位を占めるようになりました。この四つの劇団はそれぞれにそれぞれの取り柄があり、その北京入りは中国の京劇の輝かしい発展の歴史の幕開けとなりました。

徽劇と漢劇などの融合 前述のように、京劇はもともと中国の南方地域で流行っている吹腔(安徽省の地方劇の節回し)、二黄調などを演じる徽班から発展してきた劇種です。実はその発展の過程において、京劇は多くの地方劇を取り入れました。ですから、京劇は様々な地方劇が北京で集まり、お互いに融合して形成されたものであるとも言えます。そのうち、とても有名なのは徽劇と漢劇(湖北省地方の劇)の融合です。

漢劇とは中国中部、湖北省の地方劇の総称であります。ご周知のように、京劇は西皮と二黄、二つの声調から成ります。従来の説では、「西皮」は漢劇に由来したものです。北京入城の前に、徽劇と漢劇は既に幅広い芸術的交流を持っていました。清の道光帝時代に、漢劇の俳優が北京に次々と入り、徽班の一員として演出を始めました。これは再び「西皮」と「二黄」の交流を促進しました。

漢劇などの劇種との融合によって、徽劇の声調はますます完全になりつつあり、その歌い方や詠唱なども北京地域の特徴が加われ、北京の地元の人にとって受け入れやすいものになってきました。

また、徽班が北京へ進出した後、北京のさまざまな劇種の俳優は、勢いが極めて強い徽班と競争することができず、ほとんどは徽班参入に目を向けました。これも徽劇とほかの地方劇との交流を促しました。そのうち、最も代表的なものは秦腔です。時が経つにつれ、徽班も様々な地方劇が集まっている劇種になってきました。

熟成と全盛期

1883年以来、京劇は北京独自の演劇として熟成がなされてきました。その代表的な名湯として、同治帝・光緒帝の2帝の治世の当たり、郝蘭田、張勝奎、梅巧玲、劉趕三、余紫雲、程長庚、徐小香、時小福、楊鳴玉、盧勝奎、朱蓮芬、譚鑫培、楊月楼の13人が挙げられます。「同光十三絶」と称される13人が大いに京劇を盛り上げていました。

清末になると、「四大名旦(4大名女形)」と呼ばれた梅蘭芳、程硯秋、尚小雲、荀慧生の4人の俳優が上海での近代演劇を取り入れた演劇に触発されながら、京劇に一層の洗練がなされました。この4人は独自の流派を作るほど、京劇に革命をもたらしました。また梅蘭芳は初めて京劇の海外公演を日本で行いました。

いまの京劇

その後、京劇は中国の伝統文化として、「国劇」と呼ばれるように至りました。2010年11月16日、中国による京劇の無形文化遺産への登録申請を審議、採択し、京劇は申請に成功しました。

文・北京旅行網

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