霍慶有の「年画博物館」を探訪

2020-05-20

一湾河水淌千年,沟通了南北,孕育了独特的运河文化。在她流经的途中诞生了一座座富饶的城镇,其中有这样一座千年古镇,名字听起来诗情画意,读起来如沐春风,她就是杨柳青古镇。明代诗人于慎行曾作诗称赞,“杨柳青垂驿,蘼芜绿到船;笛声邀落月,席影挂长天。”静静流淌的大运河不但让杨柳青成为历史上的漕运枢纽,还形成了独特的民俗文化,年画就是其中之一。

湾に流れる河川の水は千年の時を刻みながら流れ、南北を繋げ、独特な運河文化を育んできました。運河の流れ行く途中で豊かな町が生まれました。その一つは千年の時を刻む古い町で、名前を聞くと詩や絵のような情趣があり、読みあげると春の風を浴びるように心が温まります。それが、楊柳青古鎮です。明朝の詩人于慎行はかつて詩の中でこのように称賛しました。「楊柳青垂驛,蘼蕪綠到船。笛聲邀落月,席影掛長天。(柳は青々と道に垂れ、オンナカズラは緑々と船に上がる。汽笛は月を誘い、席影は広々とした空を気にかける)」静かに流れる(北京-杭州)大運河は楊柳青を歴史的な南北大運河の輸送ハブにしただけではなく、独特な民族文化を形成しました。年画もそのうちの一つです。

杨柳青木板年画始于明代,在清朝雍正年间最兴盛,当时天津杨柳青镇及其附近村庄,大都从事年画作坊生产,可谓是“家家会点染,户户善丹青”,年画因此以产地得名。后来因历史原因年画衰微,好在后人们没有放弃,如今杨柳青木板年画已经成为了国家级非物质文化遗产,与苏州桃花坞年画并称“南桃北柳”。

楊柳青の木版年画は明朝に始まり、清朝の雍正帝時代に最も栄えました。当時、天津の楊柳青鎮及びその付近の村々は年画の制作を主にしており、「家家会点染,戸戸善丹青(どの家庭でも色付けをしており、絵画に長けている)」と言われ、年画の生産地として有名になりました。その後、歴史的な原因から年画は衰えましたが、後世の人たちが諦めなかったおかげで、現在楊柳青の木版年画は中国の国家級無形文化遺産となり、蘇州の桃花塢年画とともに「南桃北柳」と称されるようになりました。

霍庆有

霍慶有

说到杨柳青年画,就不得不提霍庆有,艺名古一张,他是国家级代表性传承人、联合国教科文组织国际民间工艺美术家、霍氏杨柳青年画第六代传人。从小受家庭环境的熏陶,酷爱年画艺术。他6岁开始随父亲霍玉堂学习彩绘,10岁学习勾描、印刷,12岁学习刻版,16岁学习裱画。目前他是天津一带唯一的集勾、刻、印、绘、裱技艺于一身的年画艺人,尤其擅长出样稿、刻版,其刻制的木版,线条流畅、细腻,清晰、稳健,很好地传承了杨柳青木版年画的刻版技法。为了宣传、弘扬杨柳青木版年画,他将自己的住宅扩建为天津市唯一一家家庭作坊式年画艺术博物馆。

楊柳青の年画と言えば、霍慶有を上げないわけにはいけません。芸名は古一張といい、中国を代表し、ユネスコから「民間工芸美術大師」の称号を受けた、霍氏楊柳青年画六代目の伝承者です。幼い頃から家庭環境の影響を受け、年画芸術をこよなく愛しています。彼は6歳の頃から父の霍玉堂に付いて彩色画を、10歳の頃には輪郭や印刷を、12歳には刻版を、16歳には表装をそれぞれ学びました。現在彼は天津一帯で輪郭、刻版、印刷、絵、表装技術を持つ唯一の年画芸術家であり、特に見本や刻版の製作を得意としています。その彫刻された木版は滑らかで繊細、鮮明で安定感があり、楊柳清の木版年画の彫刻技法をしっかりと受け継いでいます。楊柳青木版年画の宣伝と発揚のため、彼は自分の住まいを拡張し天津市唯一の家庭的な工房形式の年画芸術博物館にしました。

年画博物馆藏品

年画博物館の所蔵品

这个年画博物馆存放着霍庆有搜集散落在民间的版样和年画相关资料,为了这些珍品,他跑遍了杨柳青四邻八乡和天津郊县的十里八村,甚至是全国。走进博物馆,一楼是绘画和展示,访客可以在这看年画是怎么制作的,二楼是现代的年画作品展示,三楼则是保存着多年来他搜集到的以及祖上传下来的年画,从清代到现在不同时期的年画都有,还有一些以前制作年画的工具,都在这里保存得很好,用于宣传杨柳青年画文化。

この年画博物館には楊柳青が散らばっていた民間の版画見本や年画に関する資料を集めたものが展示されており、これらの貴重な品のために、楊柳青のあちらこちらから、天津郊外の村々、しいては中国全土を駆け巡りました。博物館に入ると、一階は絵画と展示で、訪問客はこれらの年画がどのように制作されているのかが見れます。二階は現代の年画作品の展示、三階は彼が時間を掛けて探し集めたものや代々伝わっている年画を保存してあり、清朝から現代の異なる時期の年画が飾られています。それ以外にも以前年画を制作する時に使われていた保存状態のよい道具が置かれ、楊柳青の年画文化の宣伝するために使われています。

杨柳青年画有五大步骤:勾、刻、印、绘、裱。第一步是要勾稿,要求线条流畅;第二步是根据画样,在杜梨木上进行刻版,这一步很关键,刻工要用刀刻画出生动细腻的线条;第三步是“印”,根据用笔、用墨的浓淡和节奏变化,用轻重不同的手力将墨和颜色刷在模板上,再按次序把所有木版套印在宣纸或画绢上;第四步是“绘”,画工进行手工彩绘,这一步耗时极久,不但考验画工的技艺,更考验耐心。最后一步是装裱。

楊柳青年画には輪郭、刻印、印刷、絵、表装技術の5つの制作ステップがあります。まず最初は輪郭を描くことで、滑らかな線でなければなりません。次に見本に基づいて満州豆梨の木の上に刻版を行います。この段階は非常に重要であり、彫刻刀を使って鮮やかで細かな線を描かなければなりません。3番目の段階は「印刷」です。筆や墨の濃淡と感覚の変化に基づいて、型枠の上から力を変えながら墨と色を印刷し、それからすべての木版を画仙紙や絵絹の上に印刷します。第4番目は「絵」で、手で彩色画を描いていきます。この段階が時間がかかる作業で、画家の技術だけでなく、忍耐力も試されます。最後は表装となります。

霍庆有的儿子霍树林介绍到,每个工序都能学一生,过去每个工序都能成为一个世家,比如勾稿世家、刻版世家,现在没有这样的世家了,都必须自己做。招来的徒弟悟性好的,从做小件到能做大件至少需要一年半的时间,这还只是能做,上手的质量怎么样那还得另说。要是徒弟教三年还不能上手的话,师父一般会让徒弟另谋生路。

霍慶有の息子霍樹林は次のように紹介します。それぞれの工程は一生をかけて学び、昔は輪郭専門・刻印專門等で名門の家柄になれましたが、現在はそのような家柄もなく、自分で作る必要があります。招いた弟子の理解力が良くても、小さなものから大きなものを作るには少なくても1年半の時間がかかります。この場合ただ作れるだけであり、上手いかどうかは別の問題です。弟子に三年掛けてうまくならなければ、師匠は弟子に他の活路を探すように促します。

目前市场上的年画是当礼品卖,比较便宜,而霍庆有家的年画是作为收藏品出售,效益还不错。不少国外的华人看到年画这类老物件,会惊喜地说:“这是我小时候的东西!”随着华人的影响不断加深,很多外国人也对年画有兴趣,但他们不热衷娃娃题材,西方人买的更多的是门神、钟馗的年画,韩国人信仰佛教,觉得荷花出淤泥而不染,对荷花题材的年画比较喜欢,而日本人正好相反,觉得荷花和死亡有关。霍树林说到,杨柳青年画已经走向国际,由于文化的差异,要根据各国风土人情进行再创作。

現在市場の年画は贈り物として売られ、比較的安いものですが、霍慶有一族の年画はコレクションとして売られており、収益も悪くないものです。海外の華人も年画など古いものを見ると「コレが小さい頃見たものなんだ」と驚きながら言うのです。華人の影響が深まるにつれ、多くの外国人も年画に興味を持ちます。ただ、西洋人は小さな子供を題材とするものは好まず、買われるのは門神であったり魔除けの年画であり、韓国人は信仰する仏教の影響で、「泥より出づるも染まらず(周囲の悪い環境に染まらず、正しく生きること)」ということで、ハスの花を題材にした年画を好んでいます。反対に日本人はハスの花は亡くなることに関わると感じているようです。霍樹林は「楊柳青の年画は国際化に向かっており、文化の差によって、各国の風土人情に基づいて改めて創作する必要がある」と言います。

谈到传承和发展,霍树林表示,“我们一方面不断进行创新,另一方面也正在努力挖掘并恢复老技艺。现在国内基本看不到老年画了,要看的话得去俄罗斯的冬宫,那里有些老年画连我父亲都没见过,年画有上万种题材,我们目前见到的也就是一两千种,有一次一位商人给我们看冬宫的老年画,那些年画的气派、场景和人物都是之前没见过的,明显是大家族的年画,内心很震撼。我们希望尽力恢复老年画的题材,以后年轻人在国内就可以更好地了解年画了。另外还希望恢复明清时期杨柳青年画用的矿物、植物颜料,这种纯天然的颜料可以保持上百年不退色。如今的颜料都是化学产品,做不到这一点,始终不是杨柳青年画的味道啊!这些都是我们年轻一代人要做的,很费心力,但值得!”

伝承と発展について、霍樹林はこのように言います。「私達は一方では絶えず革新を進め、もう一方では古い技巧を掘り起こして復活させる努力をしています。現在中国では基本的に古い年画を見ることは出来ません。もし見たいのであれば、ロシアのエルミタージュ美術館に行かなくてはなりません。ここに展示されている古い年画などは私の父も見たことがありません。年画には多くの題材がありますが、私達は1~2千種類しか見たことがありません。ある時業者が私達にエルミタージュ美術館の古い年画を見せてくれましたが、これらの年画の風格、場景や人物は今まで見たことがなく、明らかに大家族の年画であり、内心とても衝撃を受けました。私達は古い年画の題材を復活させるのに尽力を注ぎ、将来中国国内の若い人にもっと年賀を理解してもらいたいと思っています。それと、明朝清朝の時代の楊柳青の年画で使っていた鉱物顔料や植物顔料を復活させたいと思っています。なぜなら純天然の顔料だと100年経っても色あせしないという特徴を持っているからです。現在の顔料は化学的に作られたもので、このことは出来ないのです。そういった意味では楊柳青の年賀の趣に欠けているのです。これらは私達若い世代がやらなければならず、大変なことではありますが、価値があることだと思っています。」

文・北京旅行網

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