古い胡同をそぞろ歩きし、北京の風景を味わう

2020-05-06

说起北京的古都文化,恐怕不得不提的就是胡同了。来北京游玩的话,有一个重要的项目就是胡同游。胡同两个字其实是蒙古语的音译,是从1267年沿袭下来的叫法,距今已经有700多年的历史,胡同作为历史悠久的产物自然代表着北京的历史风貌。在胡同深处漫步,看着周边的人和物,有时候好像一瞬间穿越到了北平,随后热闹的人声又将人拉回现实,再看看周遭的一切,泯然一笑~

北京の古都文化というと、言わざるを得ないのは胡同(伝統的な民家が建ち並ぶ細い路地)でしょう。北京へ遊びに来たら、その重要な項目の一つは胡同観光でしょう。胡同という二文字は実際、モンゴル語のの音訳であり、1267年から受け継がれた用語です。700年以上の歴史の持つ胡同は悠久なる歴史の産物として、当然ながら北京の歴史的風貌を代表できると言えます。胡同の奥をそぞろ歩きし、周りの人や物を見ていると、一瞬でタイムスリップして北平に戻ったように見え、活気ある人の声がまた、人を現実に引き戻し、周りのすべてを見直して微笑みをこらえきれないと言われます。

五道营胡同

五道営胡同

五道营胡同是一条东西向胡同,东起雍和宫大街,西接安定门内大街,南与箭厂胡同相通。胡同全长632米,宽6米,共有院落69个,是逛完雍和宫之后歇脚和感受祥和安静的首选之地。这里乍一看有点像南锣鼓巷,走了一个来回感觉两者还是有着很大区别的。五道营更清净,更文艺一些。

五道営胡同は東西方向に貫く胡同であり、東の雍和宮大通りから始まり、西の安定門裏通りと接続し、南の箭厂胡同と通じています。胡同は長さ632メートル、幅広さ6メートルで、69の中庭があり、雍和宮を訪れた後の一休みと安らぎを感じる場として最適です。一見すると南鑼鼓巷のように見えるが、歩き回ってみると両者に大きな違いがあると感じられます。五道営はより静かで、より文芸的だと思われます。

五道营属崇教坊,旧称武德卫营,是在明成祖朱棣建都北京后就存在的一条街,据传此地为明朝守城的兵营驻地。清代改称“五道营”,1965年整顿地名时又改称为“五道营胡同”。

五道営は崇教坊に属しており、昔、武徳衛営と呼ばれていました。明成祖の朱棣氏が北京に都を定めた後に存在していた街で、明朝都を守る兵舎の駐在地であったといわれています。清の時代に「五道営」と改称され、1965年に地名を修正することにより「五道営胡同」と改称されました。

五道营胡同现在初步发展成为一条以旅游休闲和文化体验为特色的胡同街区。由于整体风貌较好,环境条件舒适宜人,不少人选择在此开店营业。胡同里有很多文化创意店,多样化的创意小店,宁静的咖啡店、精致的手工艺作品馆、猫主题的手工瓷画店以及清新淡雅的素食餐厅,在这里随处可见。

現在、五道営胡同は基本的に観光・レジャーと文化体験を特色とした胡同ブロックに発展してきました。全体的な風貌が良く、環境条件も快適であるため、多くの人々がここに店を開くことを計画しています。胡同には多様化に富んだ様々な文化・クリエイティブショップがあります。静かな喫茶店、精緻な手工芸作品館、ねこをテーマにした手作りの磁器絵画ショップ及び淡くやわらかなベジタリアンレストランが至る所で見られます。

两旁的商家,种植了大量有特色的绿植,夏天这里绿树成荫,秋天这里是泛红的红叶,一年四季,季季有景。这里的习俗、文化这些细腻的东西,是需要沉下心慢慢品味的。

両側にある店舗のすぐそばに特色がある緑の植物がたくさん植えられ、夏に木陰、秋に赤っぽい紅葉、季節ごとに綺麗な景色が見られます。ここの風習や文化などの繊細なものを落ち着いてゆっくり味わう必要があると考えられます。

走在路上,能看到小店里的人在聊天交谈,或者是年轻的小姑娘在店里做手作。美丽的自行车、爬满藤蔓的老房子、休息聊天的好去处、来旅游的童鞋可以在这里找到青年旅社。

道を歩いていると、お店でおしゃべりをしている人や手作業をしている少女の姿を見ることができます。綺麗な自転車、蔓で覆われた古い家、休憩やおしゃべりに最適な場所、観光に来た皆さんはここでユースホステルを見つけることができます。

五道营胡同简直还是吃货的天堂,一条胡同就能让你品尝来自全国甚至世界各地的味道。这里可以体验云南风情,感受四合院和四川火锅的碰撞,品尝墨西哥美食,也能满足东南亚餐的味蕾,饭后想吃的甜点更是随处可见……

一方、五道営胡同はグルメの楽園でもあります。胡同一本で全国ないし世界各地の味を楽しむことができます。ここでは、雲南の風情を体験したり、四合院と四川火鍋の衝突を感じたり、メキシコ料理を味わったり、東南アジア料理の味覚を満たしたりすることができます。また、夕食後に食べたいデザートも至るところで見えます...

正如每个读者中有不同的哈姆雷特,每个人眼中的五道营胡同也是不一样的,但这条具有文艺气质的五道营胡同值得来逛一逛。五道营胡同,安静、文艺、节奏慢,五道营胡同正在以另一种风貌诉说着老胡同的新故事。

それぞれの読者が異なるハムレットを読めるように、人々が見た五道営胡同も異なります。しかし、この文芸的風格が満ち溢れる五道営胡同は一見する価値を持っていると言えます。静かで文芸的、ゆっくりとしたペースの持つ五道営胡同は異なる風貌で古い胡同の新しい物語を語っています。

交通:地铁5号线雍和宫站下,G西南口出

アクセス:地下鉄5号線の雍和宮駅で降り、G南西口から出ます

地址:北京市东城区安定门五道营胡同

住所:北京市東城区安定門五道営胡同

南锣鼓巷

南鑼鼓巷

熙熙攘攘的人群,游人如织的繁华街巷,南锣鼓巷作为北京城最早的商业街之一,热闹的欢笑声和叫卖声此起彼伏。明艳火热的氛围就像一团火焰,承载着一批批游客的记忆。南锣鼓巷您可能没来过,但肯定听过它的大名,每到旺季,总有游客太多限流的新闻报道,小编每次去都觉得人好多啊!南锣鼓巷真不愧是北京最热闹的胡同啊!

黒山の人だかり、観光客が行き交い、賑わっている繁華街である南鑼鼓巷は北京にある最も古い商店街の一つとして、賑やかな談笑の声と売り声が次から次へと聞こえます。情熱に満ち溢れる雰囲気が炎のようなもので、観光客の思い出を伝えています。南鑼鼓巷へ身を持って来たことがないかもしれないが、きっとその名を聞いたことがあるでしょう。毎年のピークシーズンになると、観光客が多すぎて入場制限措置を講じることに関する記事が報道されます。行くたびに、人がたくさんいるなと感じます。さすが北京にある最も賑やかな胡同ですね。

南锣鼓巷位于东城区的西部,东邻交道口南大街,西倚地安门外大街,北接鼓楼东大街,南连平安大街。南锣鼓巷所处的优越地理位置让其历代繁荣,经久不衰,到现在依然是人来人往,热闹非凡。

南鑼鼓巷は東城区の西部に位置し、東は交道口南大通りと隣接し、西は地安門外大通りに臨み、北は鼓楼東大通りと接続し、南は平安大通りと繋がっています。優れた地理的優位性のおかげで、南鑼鼓巷は衰えることなく、代々にわたって繁栄し、現在になっても多くの人々が行き来する賑やかな街であります。

南锣鼓巷这片地区最早形成于元朝,元代“昭回坊”的位置就在今天南锣鼓巷及其东西两侧区域;根据《宛署杂记》的记载“明代的南锣鼓巷所在区域又恰好是“昭回坊”和“靖恭坊”的分界线,因这片地形很像一个扣过来的龟背,所以将其命名为“罗锅巷”;《京师坊巷志稿》中说到:1644年清代定都北京后,北京内外城一共分为十个坊,而南锣鼓巷分属于中西、灵中二坊。据《乾隆京城全图》的记载此时的罗锅巷已更名为南锣鼓巷。元代的昭回坊,南邻皇城御苑,北望鼓楼与中心阁,地理位置就十分优越。清代时期南锣鼓巷及其两侧胡同居住的人都是镶黄旗满洲的18个佐领官兵及家属,是当时较有权势的一族。

南鑼鼓巷という区域は元王朝で最初に形成され、元王朝の「昭回坊」が現在南鑼鼓巷及びその東西両側のエリアにあると言われます。『宛署雑記』の記載によると、明の時代の南鑼鼓巷の所属するエリアはちょうど「昭回坊」と「靖恭坊」の境界線にあり、この区域の地形が引っ繰り返された亀の背中に似ているので、「羅鍋巷」と命名されたということです。『京師坊巷志稿』の中で、1644年、清王朝が北京に都を定めた後、北京全区域が10の坊に分けられ、南鑼鼓巷は中西、霊中という二つの坊に属していたと言及されました。『乾隆京城全図』の記載によると、その時の羅鍋巷は既に南鑼鼓巷に改名されました。元王朝の昭回坊の南は皇居庭園と隣接し、北は鼓楼と中心閣に向かい、優れた地域的優位性を持っていました。清の時代の南鑼鼓巷及びその両側の胡同に住んでいた人たちは鑲黄旗満州族の18のニルの長とその家族であり、当時では権勢のある一族でした。

根据《析津志》的记载,元代钟鼓楼地区是繁华的商业街,有帽市、皮毛市、米市等买卖交易,而南锣鼓巷就比邻鼓楼的东南角,加之郭守敬开凿的运河也经过此地,所以不难看出,位于中心区域的南锣鼓巷在元代也是一片繁荣。明清以来,尤其是民国时期,南锣鼓巷一直都汇集了不少店铺,直至现在,虽历经了八百年,几经朝代变迁,这条街巷却一直与繁华商业街相邻,依然是热闹繁华之地。

『析津志』の記載によると、元王朝の鐘鼓楼区域は賑やかな繁華街として、帽子、毛皮、米などの売買取引が行われていました。また、南鑼鼓巷は鼓楼の南東角に隣接し、郭守敬により切り開かれた運河もここを通ることから、中心地域に位置する南鑼鼓巷は元の時代にも繁栄であったことが見られます。明清の時代以来、特に民国の時期から、南鑼鼓巷では数多くの店舗が集まり、八百年の歴史と何回にわたる朝の変遷を経たが、現在まで、繁華街と隣接し、賑やかな商店街であることは一度も変わったことがありません。

南锣鼓巷全长786米,宽8米,呈南北走向,以这条街巷为主干,巷内东西两侧分别延伸出8条平行相对的胡同。众多胡同有规律的排列,形似蜈蚣,所以有“蜈蚣街”的说法。蜈蚣的身子就是由从巷内东西两侧延伸出来的16条胡同组成。其中前鼓楼苑胡同、黑芝麻胡同、沙井胡同、景阳胡同、帽儿胡同、雨儿胡同、蓑衣胡同、福祥胡同这8条胡同位于西侧至北向南依次排列;菊儿胡同、后圆恩寺胡同、前圆恩寺胡同、秦老胡同、北兵马司胡同、东棉花胡同、板厂胡同、炒豆胡同则从东边由北向南依次排列。这些胡同呈鱼骨状有序排列就组成了蜈蚣的身子,而以前在南锣鼓巷最北端的两眼井恰好构成了这条蜈蚣的两只眼睛。

南鑼鼓巷は長さ786メートル、幅8メートルで南北方向に貫き、この商店街をメインストリートとし、東側と西側から8つの平行で向かい合った胡同が伸びています。数多くの胡同はムカデのように規則的に並び、「ムカデ街」とも呼ばれます。ムカデの身は南鑼鼓巷から東西に伸びている16本の胡同からなっているものです。そのうち、鼓楼苑胡同、黒芝麻胡同、砂井胡同、景陽胡同、帽儿胡同、雨儿胡同、蓑衣胡同、福祥胡同という八つの胡同は西側に位置し、北から南に順番に並びます。一方、菊児胡同、後円恩寺胡同、前円恩寺胡同、秦老胡同、北兵馬司胡同、東棉花胡同、板厂胡同、炒豆胡同は東側に位置し、北から南に順番に並びます。これら魚の骨のように秩序よく並んでいる胡同はムカデの身となり、昔、南鑼鼓巷の最も北のほうにある二つの井戸はこのムカデの両眼となります。

如果说南锣鼓巷因胡同多而让人熟知,那么胡同中那些古老而沉默的名人宅邸则让这条街巷熠熠生辉。据相关研究统计,在南锣鼓巷的故居有27处之多。东起南锣鼓巷,西止东不压桥胡同,全长343米的雨儿胡同就有多处名人故居。其中,胡同的33号和31号分别为粟裕将军和罗荣桓元帅的故居;齐白石故居则在雨儿胡同13号,现为“北京美术家协会”。蓑衣胡同2号是一处古旧的四合院,曾任全国政协、北京市政协委员的爱新觉罗·溥任先生就曾在此居住。菊儿胡同7号院赫然耸立的小洋楼正是清末大吏荣禄宅邸的重要组成部分。

南鑼鼓巷は胡同が多いことで人に知られていると言うのなら、胡同の中にいる古くて沈黙した有名人の邸宅がこの街をよりきらきらと輝かせたと言えます。関連研究の統計によると、南鑼鼓巷にある名人旧居は27ヶ所以上に上っているということです。東は南鑼鼓巷から始まり、西は東不圧橋胡同まで、長さ343メートルの雨儿胡同の中に名人旧居が何カ所もあります。そのうち、胡同の33号と31号はそれぞれ粟裕将軍と羅栄桓元帥の旧居で、雨児胡同の13号にあるのは斉白石の旧居で、現在は「北京美術家協会」となっています。蓑衣胡同2号の古びた四合院で、全国政協、北京市政協委員を務めた愛新覚羅 溥任氏が住んでいました。菊児胡同7号にそびえ立った洋風建築は清王朝末期の大官である栄禄氏の邸宅の重要な一部です。

帽儿胡同35号、37号是婉容故居,这座宅院最初为婉容的曾祖父郭布罗.长顺所建,1922年,婉容被圈点为皇后之后,此地被升格为承恩公府,是皇后的“后邸”,故而进行了大规模改建;茅盾故居位于后圆恩寺胡同13号,这个地方曾是元代圆恩寺旧址,1974年茅盾搬入此地,门前影壁上刻有邓颖超同志题写的“茅盾故居”四个字。

帽児胡同の35号と37号は婉容氏の旧居です。この邸宅は最初、婉容氏の曽祖父である郭布羅長順氏に建てられたもので、1922年、婉容氏は皇后に選出された後、ここは承恩公府に昇格され、皇后の「后邸」となりました。そのため、大規模な改築が行われました。後円恩寺胡同13号に位置する茅盾旧居は、元々、元王朝円恩寺の旧跡でありました。1974年、茅盾氏がここに引越ししてき、表門の中にある目隠し壁に鄧穎超氏に書かれた「茅盾故居」という四つの文字が刻まれています。

如今的南锣鼓巷在全国都是有名的商业街,不长的街道却挤满着店铺,手工艺品店、潮流美食店、炸酱面店和各类饮品店前挤满了人~小编给您推荐几家,您得空可以逛一逛~

現在の南鑼鼓巷は全国で知られる商店街となっています。長くもない街道に店舗がたくさんあり、手工芸品ショップ、人気ある料理店、ジャージャン麺の店と様々な喫茶店で人がいっぱいとなっています。いくつかのお店をご紹介します。時間あったらぜひまわってみてください。

芃莯微景观生活馆是一家手工店。四个合伙人偶然间的灵感碰撞,引进了日本潮流的艺术理念,造就了大家今天看到的“芃莯”,小店布置得很温馨可爱,店内提供各类苔藓植物微景观diy创作产品,也可来店充分发挥自己的想象,创造自己的微观世界,店员会对你进行细致的指导,手残党也没关系~做好后看着微景观慢慢生长,真的是一件很开心的事情!

芃莯ミクロ景観生活館は手工芸の店です。パートナー四人は偶然で湧いたインスピレーションで、日本で流行っている芸術理念を導入し、現在皆さんが見える「芃莯」を作ったわけです。店が暖かくて可愛く装飾されています。店は各種類のコケ植物ミクロ景観DIY創作作品を提供すると同時に、店に来て自らの想像力を発揮して自分らしいミクロな世界を創造することもできます。店員さんから細かく指導してもらえるので、よくできなくても大丈夫です。完成できたらミクロ景観がゆっくりと成長するのを見ていると楽しくなるのではないかと思います。

Katchup是一家美食店,路过时不要错过。小店有干净的独立卫生间,却没有带门的厨房——柜台后面开放式的操作,一目了然所有过程~48块钱一份的豆腐沙拉里放了橄榄油浸洋蓟。想来会欣赏这食材的主顾应是不多,但老板还是肯舍得下这么贵的材料,太良心了!豆腐汉堡简直是小编的心头好!豆腐土豆调制的酥饼,照烧酱调味,配了日式冰藻,而且都是搭配比手指还粗还长的薯条上桌!小食、沙拉、浓汤、汉堡、牛排,连甜品也都好吃!咖啡甘露酒减了量,用柠檬调出一点酸爽,刚淋上奶酪糊的手指饼内芯还干爽着,需要一点力度才切得开,良心之作!

料理店のKatchupを通りかかる時にぜひお見逃さないでください。店には清潔で独立したお手洗いがあり、キッチンにはドアがつけておらず、開かれたカウンターの後ろでの制作過程が一目瞭然です。48元の豆腐サラダの中にオリーブオイルに浸されたアーティチョークを入れています。このような食材を楽しめるお客さまがそれほど多くないはずだが、こんなに高い材料を使う店長さんは非常に良心的な売り手ではないかと思います。豆腐ハンバーガーは筆者の大好物ですよ!豆腐とジャガイモで作ったショートブレッドに照り焼きソースで味付けし、日本の氷藻を添え、指よりも厚くて長いチップと合わせて食卓に載せます。スナック、サラダ、スープ、ハンバーガー、ステーキ、そしてデザートさえも美味しいです!コーヒーマンニット酒の量を減らし、レモンで酸味を味付けし、チーズ糊にかけられた手の指状のビスケットの真ん中はまだ乾燥したままで、少し力を入れないと切れない良心的な料理です。

沿着胡同逛,两边是琳琅满目的店铺,这家进去看看,那家逛逛,还是很开心的!南锣鼓巷人什么时候人都多,也不用挑时间啦!

胡同に沿って歩けば、両側に数多くの店が見え、入って見たりすることもとても楽しいです。南鑼鼓巷はいつでも人がいっぱいいるので、わざわざ時間を選ばなくてもいいと思います。

交通:地铁6号线或8号线到南锣鼓巷站下车即到

アクセス:地下鉄6号線或いは8号線に乗って南鑼鼓巷駅で降りると到着します

地址:北京市东城区南锣鼓巷胡同

住所:北京市東城区南鑼鼓巷胡同

砖塔胡同

磚塔胡同

砖塔胡同位于西四牌楼附近,名称来自于胡同东口一座八角七重檐的青灰色砖塔,这座塔是元代砖塔,根据史料推断,可以肯定在六百年以上,明人张爵所著《京师五城坊巷胡同集》(成书于嘉靖三十九年)、清人吴长元所著《宸垣识略》(成书于乾隆五十三年),均把砖塔胡同作为京城古迹加以收录,由此亦可以推断砖塔胡同历史之久远。不过要证明砖塔胡同的久远历史,最好的例证是元杂剧。原来,在元、明、清三代,砖塔胡同作为戏曲活动的中心,是北京城最热闹的地方之一。

磚塔胡同は西四牌楼の近くに位置し、その名前は胡同東入り口にある八角七重軒のスレートグレー煉瓦塔(煉瓦は中国語で磚と言う)から由来しています。この塔は元の時代の煉瓦塔であり、史料に基づき、六百年の歴史を持っているに間違いないと推計されます。明の時代の張爵氏に著書された『京師五城坊巷胡同集』(嘉靖三十九年に作成)、清の時代の呉長元に書かれた『宸垣識略』(乾隆五十三年に作成)ではいずれも、磚塔胡同を首都の遺跡として収録されました。これにより、磚塔胡同の歴史の長さを推断することができます。しかし、磚塔胡同の歴史の長さを証明するには一番良い例証は元の雑劇であると思われます。以前、元、明、清という三つの時代に、磚塔胡同は伝統演劇の中心として、北京の最も賑やかな場所の一つとなっていました。

元代杂剧在京城非常流行,元人李好古的杂剧《张生煮海》剧的第一折中张生与龙女定情后,家童与龙女的侍女梅香调情其中提到了砖塔胡同:

元の時代の雑劇は北京で非常に流行っていました。元の李好古氏に創作された雑劇『張生煮海』の第一話に、張生と竜女と愛を確かめ合った後、召使いの少年と竜女の侍女である梅香といちゃつく中で磚塔胡同を言及しました。

家童词儿:“梅香姐,你与我些儿什么信物!”

召使い少年のセリフ:「梅香姉さん、どんな贈り物もらえるのでしょう。」

侍女词儿:“我与你把破蒲扇,拿去家里扇煤火去!”

侍女のセリフ:古びたガマうちわをあげるから、持って帰って石炭の火を扇いで。」

家童词儿:“我到哪里寻你?”

召使い少年のセリフ:「またどこで会えます?」

侍女词儿:“你去那羊市角头砖塔胡同总铺门前来寻我。”

侍女のセリフ:「羊市角頭磚塔胡同本店の前へ会いに来て。」

文化艺术与历史的互相佐证在这里有了典型的表现,这些产生于当时元杂剧的台词道白留存至今,足证元大都时期已有砖塔胡同,胡同名字保存至今已有七百多年的历史了。

文化芸術と歴史の相互確証はここで典型的に表現されました。これら元の雑劇から生まれたセリフは現在まで保存され、元の時代に既に磚塔胡同というところがあったと証明でき、つまり、胡同の名前は既に七百年の歴史を持っているということです。

这条胡同从来不缺故事,因为它曾聚集了元明清三代的娱乐文化名人,是三朝的娱乐中心。它也不缺乏人文性,民国著名文学家张恨水先生、著名作家鲁迅先生都在这条胡同住过。

この胡同は以前から物語を欠いたことは一度もなかったです。なぜかというと、昔、ここは元、明、清三つの時代の娯楽文化名人が集まる場として、三王朝の娯楽中心となったからです。人文性を欠いたこともなかったです。民国有名な文学家である張恨水先生、有名名作家である魯迅先生らもここで暮らしたことあります。

砖塔胡同四十三号,就是著名作家张恨水的故居了。张恨水先生在砖塔胡同生活了近16年,他在北京的一半时间都是在砖塔胡同度过的。张恨水,相信大家对这个名字都不陌生。不过这里还是想写写这位传奇作家。张恨水先生一生十分勤奋,写过高达四千多万字的作品。四千多万字放在哪个时代都算高产了,按理说高产的作家写的文章质量不一定好,但是张恨水写的一百多部作品中知名作品数不胜数,比如《金粉世家》、《啼笑因缘》等都是流传至今的作品。

磚塔胡同四十三号は有名な作家の張恨水氏の旧居です。張恨水は磚塔胡同で16年くらい生活し、北京にいた時間の半分は磚塔胡同で過ごしていたということです。張恨水、さぞ見知らぬ名前ではないと思いますが、ここではこの伝説的な作家についてご紹介したいのです。張恨水は生涯を通じて一生懸命働き、創作した作品の文字数は合計4000万以上に達しています。4000万を超える文字数はどの時代に置かれても生産性が高いと見なされています。本来から言うと、生産性の高い作家が書いた文章の品質があまりよくないかもしれないが、張恨水が書いた百以上の作品の中で有名な作品が数え切れないほどあります。例えば『金粉世家』『啼笑因縁』などはいずれも現在に伝わってきた作品であります。

在砖塔胡同,张恨水先生写出了《孔雀东南飞》、《荷花三娘子》等小说作品,也是备受好评。最令人称奇的是张恨水先生能同时连载七部小说,而且小说之间不重复,情节也不雷同,更厉害的是一气呵成的功力想必也让很多作家望尘莫及。

磚塔胡同で張恨水先生が『孔雀東南飛』『荷花三娘子』などの小説作品を創作し、高い評価を得ています。人を最も驚かしたのは彼が同時に七つの小説を連載することができ、しかも小説と小説の間に重複した内容や形式がいっさいないことで、また、文章が最後まで首尾一貫している技も、多くの作家にとって足元にも及ばない能力ではないでしょうか。

这就是砖塔胡同,一条见证了历史的胡同,不但有娱乐的喧,还有文人的雅,细细品味,发觉这可能就是时间赋予的魅力!

これこそ磚塔胡同であり、歴史を経験してきた胡同として、娯楽の騒がしさがあるだけでなく、文人の雅もあります。じっくり味わえば、これが時間がもたらした魅力ではないかと気づきます。

交通:地铁4号线西四站下,D西南口出

アクセス:地下鉄4号線の西四駅で降り、D南西口から出ます

地址:北京市西城区砖塔胡同

住所:北京市西城区磚塔胡同

东交民巷

東交民巷

在天安门附近,有一条西起天安门广场东路,东至崇文门内大街,全长1552米的胡同,叫作“东交民巷”,它是老北京最长的一条胡同。

天安門の近くに、西は天安門から始まり、東は崇文門裏大通りに至る長さ1552メートルの胡同があり、「東交民巷」と呼ばれ、北京にある最も長い胡同であります。

这里旧时曾是漕运地,所以原名也称“东江米巷”。明代时,在东江米巷设有六部中的礼部以及鸿胪寺和会同馆,主要接待来自安南、蒙古、朝鲜、缅甸等四个藩属国使节。到了清代,会同馆改名四译馆,并修改政策只允许外国使节在这里居住四十天。

ここは昔、国家が食糧を南北大運河で北方に輸送する場であったため、「東江米巷」とも呼ばれていました。明の時代に、六部(中国古代の政治制度で、吏、戸、礼、兵、刑、工の各部の総称)の礼部及び鴻臚寺と会同館が東江米巷で設置され、主に安南、モンゴル、朝鮮、ミャンマーといった四つの属国からの使者を招待する場として知られていました。清の時代になると、会同館は四訳館に改名され、外国使者がここに40日しか駐在できないよう政策を改正しました。

1860年第二次鸦片战争后,根据签订的《天津条约》,先后有英国、法国、美国、俄国、日本、德国、比利时等国在东交民巷设立使馆,并将东交民巷更名为使馆街。

1860年第二次アヘン戦争後、『天津条約』の調印により、イギリス、フランス、アメリカ、ロシア、日本、ドイツ、ベルギーなどの国々が東交民巷で使館を設立し、また、東交民巷を使館街に改名しました。

1949年1月31日,北平和平解放,中国人民解放军全副武装昂首通过东交民巷,洗刷了近半个世纪中国武装人员不得进入东交民巷的耻辱。1950年1月6日,北京市军管会颁发布告,庄严宣布在北京市内帝国主义兵营的占地一律收回,其建筑全部征用。一些与新中国建立正常外交关系的国家,继续在东交民巷建立使馆。

1949年1月31日に、北平は平和的に解放され、中国人民解放軍が頭を上げ、完全武装で東交民巷を通過し、約半世紀にわたって中国武装人員が東交民巷に立ち入り禁止という恥辱を受けていました。1950年1月6日に、北京市軍管会は北京市内に帝国主義の兵舎が占有していたすべての土地を回収し、その建築を全部徴収しました。また、新中国と正常な外交関係を結んだ一部の国家は引き続き東交民巷で使館を建設することができると布告を通じ、厳粛に発表しました。

1959年开始,按照中国政府的安排,各国使馆先后迁往东郊建国门外。东交民巷建立使馆的历史从此宣告结束。就在这一年,东交民巷西侧,中国革命历史博物馆建成。原使馆区的操场上,矗立起了对外经济贸易合作部、公安部、国家轻工业局、国家纺织工业局的大楼,原德国使馆区建成了首都大酒店,崇内大街西侧原来的跑马厂、操场,建成了东单公园和东单体育场。

1959年から、中国政府の手配により、各国の使館は相次いで東郊の建国門の外側に移転しました。東交民巷で使館を設立する歴史はこれで終了することになりました。同年、東交民巷の西側に、中国革命歴史博物館が建てられました。元使館区の運動場で対外経済貿易合作部、公安部、国家軽工業局、国家紡織工業局のオフィスビルが建てられ、元ドイツ使館区が首都大ホテルに建設され、崇内大通り西側にあった競馬場や運動場が東単公園と東単体育場に建設されました。

如今漫步街头,道路两旁异国风情的建筑依稀可见,它们仿佛是在向过往的行人诉说着曾经的那段历史。

現在、街角をそぞろ歩きすると、道端にから異国風情のある建物がかすかに見え、通行人に過去の歴史を伝えているようにしています。

交通:地铁5号线崇文门站下,E西北口出

アクセス:地下鉄5号線の崇文門駅で降り、E北西口から出ます

地址:北京市东城区东交民巷

住所:北京市東城区東交民巷

烟袋斜街

烟袋斜街

烟袋斜街位于北京市地安门外大街鼓楼前。在清末至二三十年代,街内以经营旱烟袋、水烟袋等烟具、古玩、书画、裱画、文具及风味小吃、服务行业等为主。

烟袋斜街は北京市地安門外大通り鼓楼の前にあります。清王朝の末期から1920~1930年代にかけて、ここはキセルや水ギセルなどの喫煙の道具、骨董品、書道・絵画、絵の取り付け、文房具及び風味のある軽食、サービス産業などをメインとして経営してきました。

据说,当时居住在北城的旗人,大都嗜好抽旱烟或水烟,烟叶装在烟袋中。由于烟袋的需求与日俱增,所以斜街上一户一户开起了烟袋铺。

当時、北城で暮らしていた満州族の人のほとんどは、タバコの葉をキセルに入れ、刻みたばこや水タバコに夢中していたということです。キセルに対する需要が日増しに増えたため、斜街でキセルの店が次から次へと開かれました。

除此之外,烟袋斜街本身就宛如一只烟袋。细长的街道好似烟袋杆儿,东头入口像烟袋嘴儿,西头入口折向南边,通往银锭桥,看上去活象烟袋锅儿。

そのほか、烟袋斜街は本来、キセルのような形となっています。細長い街道はキセルのラウみたいで、東の入り口はキセルの吸い口のようで、西側の入り口が南の方に折れ曲がっており、銀錠橋に通じ、キセルの火皿のように見えます。

斜街的形式与元代修通惠河漕粮货物之运有最直接的关系,所以烟袋斜街的繁华发轫于鼓楼西大街。元大都的布局是“前朝后市”,即从永定门到三大殿是朝,钟鼓楼后是市场。

斜街の形は、元の時代に食糧を輸送する恵河の開通と最も直接的な関係があるため、烟袋斜街の繁栄は鼓楼西大通りから起源したわけです。元大都の街づくりは「前朝後市」となっており、つまり永定門から三大殿までは朝廷であり、鐘鼓楼の後ろは市となっているわけです。

烟袋斜街的大清邮局也是一大特色,在这里寄一封信,放佛有一种在老北京的街头,突然穿越的感觉。

烟袋斜街にある大清郵便局も大きな特色を持っています。ここで手紙一通を郵送すると、北京の街角で急にタイムスリップしたように感じられます。

烟袋斜街最繁盛红火的时间是清代光绪年间,这里出现多家饭庄、酒楼、烟铺、茶馆、浴池等。

烟袋斜街が最も繁栄した頃は清の光緒年間でした。かつてここで、数多くの飯店、料亭、タバコ屋、茶室、浴場などが現れました。

特别是出现了以经营烟具为主的“同台盛”和“双盛泰”两个店铺,据说两店老板曾为那拉代氏通洗水烟袋,于是声闻京华。

特にタバコ道具の経営をメインとした「同台盛」と「双盛泰」という二つの店舗がありました。この二つの店舗の店主は昔、那拉代氏に水タバコのキセルを疎通し洗ったことで都で有名となりました。

烟袋斜街全长232米,毗邻南锣鼓巷,可以说,在这里还可以体验地道的老北京味。

烟袋斜街は長さ232メートルで、南鑼鼓巷と隣接し、ここで本場の北京味を体験することもできると言えます。

烟袋斜街并不长,很快就能逛完,作为保存完好的胡同之一,现在的烟袋斜街也是热闹非凡,很多游客都会慕名而来,也带动了胡同里的商业氛围。

烟袋斜街はそれほど長くはないので、すぐ歩き抜くことができます。よく保存された胡同の一つとして、現在の烟袋斜街も非常に賑やかで、名声を慕って来る観光客も多く、商業の雰囲気をも牽引できたと言えます。

对于北京人而言,喜欢烟袋斜街的小巷和两边的老房子,虽然已经修缮一新,但依然透着京城才有的气质。

北京の人にとって、烟袋斜街の小路と道端にある古い家が一新に改装されたものの、相変わらず北京ならではの気質を示していると見えます。

穿过烟袋斜街,就是后海,这里还有燕京小八景之一的银锭观山。因形似银锭故称银锭桥。过去站在银锭桥上可遥望西山,故景名为“银锭观山”。这里仿佛一条时空隧道,连接着古老的明清建筑,与衣着时尚的游人,而在街巷深处的四合院里,依然有炊烟升起,仿若昨日。沿着后海北沿漫步,就能来到醇亲王府,曾是宋庆龄故居,这里还曾先后作为纳兰明珠、永瑆的宅邸。这就是烟袋斜街,包含所有,雅俗皆有,亦动亦静,北京胡同生活的闲适精致,全都融在了这里。

烟袋斜街を通り抜けると、後海に着きます。ここには燕京小八景の一つ――銀錠観山(銀錠から山を見る)という景色が見えます。銀の錠に似っているので銀錠橋と命名されました。昔、銀錠橋に立って西山を眺めることができますので、「銀錠観山(銀錠から山を見る)」と呼ばれていました。ここは時空のトンネルのようなもので、古い明清の建物とファッションの服を着た観光客らをつないでいます。街の奥にある四合院から炊事の煙が立ち昇り、まるで昨日のようでした。後海に沿って歩けば、醇親王府に着きます。ここはかつて、宋慶齢の旧居であっただけでなく、昔も納蘭明珠や永瑆の邸宅として利用されていました。ここは雅と俗っぽさ、騒がしさと静かさを含む烟袋斜街であり、北京ののんびりしている胡同生活がここに溶け込んでいます。

交通:地铁8号线什刹海站下,A2西北口出

アクセス:地下鉄8号線の什刹海駅で降り、A2北西口から出ます

地址:北京市西城区地安门外大街50号

住所:北京市西城区地安門外大街50号

琉璃厂文化街

瑠璃厂文化街

作为著名文化旅游街区的琉璃厂街,平时几乎感受不到任何喧闹,行走其间,弥漫在空气中的笔墨纸砚味道若隐若现地沁人心脾。中国有着众多的著名文房产品的发源地,而北京的琉璃厂并不是以生产文房四宝著名,却是中国的文房四宝第一街,源于历史的积淀,源于浓厚的“文化”二字。几百年的历史积淀使琉璃厂形成了独特的“文化圈”概念,涵盖了丰富的中华民族传统文化,文房四宝传统技艺的传承发展,让琉璃厂曾经无比辉煌。

瑠璃厂街は有名な文化観光ブロックとして、普段はほとんど騒がしさをいっさい感じられません。この街を歩けば、空気に漂っている筆、墨、紙、硯という文房具の匂いが見えつ隠れつして人の心にしみわたります。中国には有名な文房具の発生地がたくさんあります。北京の瑠璃厂は筆、墨、硯、紙などの文房具の生産地として知られたわけではないが、中国文房具の第一街となっています。これは歴史の蓄積から発祥し、濃厚なる「文化」という二文字から生まれました。何百年にわたる歴史の蓄積によって、瑠璃厂で独特な「文化圏」の概念が形成され、豊かな中華民族の伝統的文化をカバーするようになりました。筆、墨、紙、硯という文房具に関する伝統技巧の伝承と発展に恵まれ、瑠璃厂は非常に繁栄していました。

那么,琉璃厂为何成为文玩市场呢?这与其历史有关。

それでは、瑠璃厂はなぜ書画骨董の市場になったのでしょうか。これは歴史に関係があります。

琉璃厂大街在清代已经是北京一条著名的文化街了,它起源起于当时多集中住在这一带的各地来京参加科举考试的举人,因此在这里出售书籍和笔墨纸砚的店铺较多,形成了较浓的文化氛围。

清の時代に、瑠璃厂は既に北京の有名な文化街となりました。当時北京へ科挙試験(隋、唐から清末まで続いた官吏の登用試験)を受けに来た挙人(科挙の郷試に合格した人)がこのあたりに集まっていたため、書籍と文房具を売る店が多くあり、濃厚な文化的雰囲気が形成されました。この街もここから発祥したわけであります。

清初顺治年间,在京城实行“满汉分城居住”。而琉璃厂恰恰是在外城的西部,当时的汉族官员多数都住在附近,后来全国各地的会馆也都建在附近,官员、赶考的举子也常聚集于此逛书市,使明朝时红火的前门、灯市口和西城的城隍庙书市都逐渐转移到琉璃厂。各地的书商也纷纷在这里设摊、建室、出售大量藏书。繁华的市井,便利的条件,形成了“京都雅游之所”,使琉璃厂逐渐发展成为京城最大的书市,形成了人文荟萃的文化街市,与文化相关的笔墨纸砚,古玩书画等等,也随之发展起来。

清の始まりの頃、つまり順治年間に、北京で「満州族・漢民族が区域別で暮らす」という政策が実施されていました。瑠璃厂はちょうど郊外の西側に位置し、漢民族の官吏がこの近くに住んでいました。その後、全国各地の会館もこの近くに建てられ、官吏や科挙試験を受けに来た挙人たちも書籍の販売市場を出入りするために常にここに集まるようになりました。その結果、明の時代に賑わっていた前門、灯市口と西城の城隍廟書籍販売市場も次第に瑠璃厂に移転するようになりました。各地の書籍商人らもここで屋台を出したり、店舗を立てたりして、たくさんの蔵書が販売されました。賑やかな市場、便利な条件が「京都雅遊の場」を作りました。また、このおかげで、瑠璃厂は次第に北京の最も規模の大きい書籍市場と成長し、優秀な人物や精美な物が一箇所に集まる文化街となりました。文化に関する筆、墨、硯、紙などの文房具や骨董書画などもだんだん発展してきました。

文化街有个有趣的现象,您细看,会发现各家店铺都有对联,还都各有特色!

文化街には面白い現象があります。よく見てみると、それぞれの店舗に対聯があり、またそれぞれに特色を持っていたとわかります。

珠宝店“宝翠堂”的门联是:“珠玉腾辉琉璃彩,天生皓月海外星”,“孔方斋”古玩铺的对联则是“曜三辰之珠璧,宣六代之云英……”除了门联,不少店铺室内也有对联,其内容多是劝善、清高、修身、处世等,如“天地无私为善自然获福;圣贤省教修身可以齐天”……

宝石店である「宝翠堂」の対聯は「珠玉騰輝瑠璃彩、天生皓月海外星」、骨董店である「孔方齋」の対聯は「曜三辰之珠璧、宣六代之云英」となっています。門の両側に張る対聯以外に、多くの店が室内にも対聯を張っています。その内容のほとんどは、善い行いを勧めることや名声や物欲にとらわれないこと、身を修めること、及び処世に関することです。例えば、「天地无私為善自然獲福、聖賢省教修身可以斉天」などがあります。

在琉璃厂文化街上,一些其他行业的店前,也有结合自家所从事的工作写有门联,这是长期受传统文化街的影响所致,如“博福茶屋”的对联是“煮茗别开留客处,论文多近咒禅窗。”舒乙题写的“京味大茶馆”,结合所卖的饮料写出对联:“酸梅汤敢说是天下第一,玫瑰露称得上盖世无双。”家具店门前也有联曰:“花梨紫檀明代典范,桌椅板凳鲁班遗风”等等,这都是古老的琉璃厂文化街特有的景观。

瑠璃厂の文化街にある他の業界の店にも、自らの事業と結びつけた対聯が張られています。これは長期にわたって伝統的文化街の影響を受けた結果と言えます。例えば、「博福茶室」の対聯は「煮茗別開留客処、論文多近咒禅窓」であります。舒乙に題された「京味大茶館」では、販売している飲み物と結びつけ、「酸梅湯敢説是天下第一、玫瑰露称得上盖世无双」との対聯が張られています。家具屋の門前にも「花梨紫檀明代典范、卓椅板櫈魯班遺風」との対聯が張られています。これらは歴史の長い瑠璃厂にある独特な風景ではないでしょうか。

据说清末民初时,各大商店在琉璃厂还争悬名家书画于窗前。人们称之为“赛窗帘”,又称窗展。当时以“荣宝斋”最为热闹,观赏者立于门前,人们称其为“立游”。张大千等著名画家的作品在“赛窗帘”内展出,有一首《竹枝词》专记此事:“新春渲染赛春帘,北溥南张等素缣。荣宝斋前权驻足,立游真较卧游甜”。

清と民国が交代する頃に、瑠璃厂の各店舗が名人の書画を窓際にかけるよう争っていたという噂があります。これが「カーテンの試合」と呼ばれ、また、窓際の展示と呼ばれます。当時の「栄宝齋」が一番賑わっていました。鑑賞者は入口の前に立ち、「立ち遊び」と呼ばれます。張大千氏など有名な画家の作品が「カーテンの試合」というイベントで展示されたこともあります。また、このことは、「新春渲染賽春簾、北溥南張等素縑。栄宝齋前権駐足,立游真較臥游甜」という『竹枝詞』と題された詩のなかで記されています。

琉璃厂文化街的一些习俗还是很有趣的,如今这里依然有许多文房四宝店,还有珠宝店和古玩店,比如一得阁、荣宝斋、戴月轩等,这里文化氛围浓郁。来这里,总是要逛逛这些店的,不然岂不白来!

瑠璃厂文化街にある一部の習俗は面白いもので、現在のここには一得閣、栄宝齋、戴月軒などたくさんの文房具店や宝石店、骨董店などがあるため、濃厚な文化的雰囲気を抱えています。もしここに来たら、これらの店に行かないともったいないのではないでしょうか。

交通:地铁2号线和平门站下,D2西南口出

アクセス:地下鉄2号線の和平門駅で降り、D2南西口から出ます

地址:北京市西城区南新华街

住所:北京市西城区南新華街

文・北京旅行網

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