端午節について知らねばならぬこと 端午節の由来

2015-06-19

今年の6月20日に中国伝統的な祭り――端午節を迎える。端午節は毎年の旧暦5月5日で、端陽節、午日節、五月節、五日節、艾節、端五、重午、午日、夏節などとも呼ばれ、従来は夏に無病息災を祝う祭日だった、後に楚の国の詩人・屈原が端午節に川に身投げして死んだことから、屈原を記念する祭日となった。

端午節の由来には、主に次ぎの4つの説がある。

端午節は歴史上の偉大な民族詩人の屈原を記念するというものだ。屈原は戦国時代の楚の国の人で、楚の威王五年の夏暦の正月七日生まれ、または楚の宣王二十七年生まれ、楚の襄王九年没とされる。

端午節は伍子胥の命日だ。伍子胥は楚の国の人で、父兄がみな楚王に殺され、後に呉に行き呉の国が楚国と戦うのを助けた人物だ。呉王闔廬の死後は子供の夫差が後を継いだが、夫差は後に中傷を信じて子胥にこれで死ぬようにと宝剣を授けた。子胥は忠義のために死ぬことを恐れず自害した。子胥の死後、夫差は命令を下して子胥の遺体を皮で包んで五月五日に川へ投げ入れさせたため、端午節は伍子胥を記念する日になったという。

端午節は父親を救うために川へ飛び込んで死んだ東漢の孝女、曹娥を記念するというものだ。曹娥は東漢の上虞の人で、彼女の父親は川で溺死し何日も遺体が見つからなかった。当時親思いの曹娥はわずか14歳だったが日夜川沿いで泣いていた。17日後の五月五日に曹娥も川に飛び込み、5日後に父親の遺体を抱いて川から出てきたという故事がある。後代の人は曹娥の親孝行を記念して、曹娥が投身した場所に曹娥廟を建て、曹娥がもともと住んでいた村を曹娥鎮と改名し、曹娥が父親のために死んだ川を曹娥川と名づけたという。

第四の説は現代の革命女性詩人、秋瑾を記念するというもの。秋瑾は浙江省紹興の人で、28歳の時に革命に参加し、大きな影響力をもった。光緒33年6月5日に紹興で勇敢に国家に殉じて死亡した。後代の人はその詩を愛し、またその勇敢な行いを悼んで、詩人節と合わせて記念日とすることにし、詩人節は愛国詩人の屈原を記念するので端午節に定められた。

「人民網日本語版」

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