「仏跳牆」料理の物語

2013-12-24

福建省の福州市にある聚春園は、福州料理の老舗で、最初に「仏跳牆」(フオティアオチアン)を出しはじめたお店だと言われている。

清代の末頃、福州には料理が得意な女性がいた。ある日、その女性は政府の役人を家でもてなした。女性が初めて作ってみた鶏やアヒル、豚足、レバー、イカなどを紹興酒の壷で煮込んだ料理は、なかなか好評であった。当時、役人に仕えていた料理人・鄭春発という人物はその話を聞いて、女性にその料理のつくり方を教わることにした。調理法を覚えた鄭春発はその後、原料に使う肉類を減らし、海鮮を増やしていき、さらに改良していった。

1865年、鄭春発は友人とともに「三友斎」という料理店を経営しはじめ、改良した壷料理を看板メニューにした。その結果、店の評判は瞬く間に広がり、毎日お客さんでごった返すようになった。ある日、この料理の名前を尋ねられたが名がなかった。そのお客は、美味しそうな匂いに誘われて垣根を跳び越えて食べに行ったお坊さんの話を思い出して、「仏跳牆」という名前はどうかと提案した。結局、この言葉が気に入った鄭春発は料理の名前を仏跳牆にしたという。

1905年、鄭春発は店の名前を「聚春園」に改める。アメリカの大統領が訪中したとき、ここのコックさんが北京に招聘されたことは現在でも有名な語り草だ。

北京旅游网

モデルコース
人気おすすめ