乾隆皇帝とお茶の物語

2013-11-07

長江以南の地ではさまざまな銘茶が取れる。西湖(浙江省杭州にある)の竜井、洞庭(湖南省にある)の碧螺春はみんなに喜ばれている。清の乾隆帝が六回も長江以南を巡幸したのはもちろん巡視と監督のためであり、景観地を観光してまわり、さらに「各地の役者を訪ねたり、きれいな女の子を見に行ったりする」ためであっただろうが、長江以南の銘茶を味わうためでもあったらしい。

乾隆帝は杭州を巡幸し、獅峰山茶園を訪ねたとき、悦に入ってしきりに「色・香り・味・形いずれも絶好」といわれる竜井茶を味わった。また、お茶を飲んだ後、「火前嫩、火後老、惟有騎火品最好(火が弱いのは生の味、火が強いのは焦げた味、火がちょうど良いのは一番良いことだ)」と揮毫した。この事から乾隆のお茶の味を理解する能力がずば抜けていて、玄人そのものであったことがわかる。その茶園の主は皇帝の知遇を得たことに感謝するため、皇帝が飲んでいた十八本の茶の木を集めて「御茶園」と名付け、永遠に記念することにした。これらの茶の木は今でも残っており、毎年の清明(四月上旬)の頃になると葉っぱが生い茂り、香りが漂う。乾隆帝は太辺というところで「人を驚かすほど香ばしい」といわれる緑茶を味わい、緑色の茶湯が出る「一嫩(若芽)三鮮(色・香・味)」というお茶を賞賛した。ただその名前は俗っぽさがあるので、その葉っぱの螺旋状の形にちなんで「碧螺春」と改名された。それから「碧螺春」は世に名を馳せ、みんなに知られるようになった。「碧螺春」が俗から脱し、有名になったのは乾隆帝と関わりがあったのである。「揚子江の水、蒙頂山の茶」は「虎跑泉の水に竜井の茶」とともにお茶の二つの絶品といわれている。こんな絶品の存在を知った乾隆帝がそれを味見しないわけがない。この清朝の皇帝は四川で、蒙山の茶を上機嫌で味わったり、評価したりした。福建に着く乾隆帝はまたウーロン茶の一種の鉄観音をゆっくり啜った。……乾隆帝が長江以南の地を観光しながらお茶を楽しむことで、視野が広まるとともにたっぷり銘茶賞味の功徳も施したというわけだ。さすがに風流を知る皇帝といわれた乾隆帝である。

乾隆帝はお茶を味見するばかりでなく水も評価している。茶聖の陸羽は『茶経』という本の中で茶を入れるときに使う水を二十のレベルに分け、無錫の恵泉を第二位としていた。乾隆帝は銀製の斗容器で各地方の素晴らしい水を一々測り、軽いほうは善いものとし、重いほうはその次にするという方法で意外にも水の順位を定めていた。そして北京の玉泉に「天下第一泉」、江蘇省の鎮江の冷泉に「天下第二泉」、無錫の恵泉に「天下第三泉」という名を与えた。この「重さによって測る法」は空前絶後のやり方と人々は驚嘆した。乾隆帝は晩年になると、お茶に対して病みつきになった。八十五歳の乾隆は皇帝の位を息子に譲って引退しようしたとき、大臣たちはひざまずいて「国は一日でも君主が無くてはいけません」と慰留した。これを聞いた乾隆は大笑いして白い髭を撫でながら、「君には一日でもお茶がなくてはならないのだよ」とユーモアたっぷりに言った。乾隆帝はとても面白い人だったようだ。

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