ボタンの花の逸話

2013-05-24

5月の北京はボタン(牡丹)、シャクヤク(芍薬)、バラなど様々な花が咲きほこり、各公園も花見客で賑わっていた。これらの美しい花の中で、ボタンはエレガントな姿と独特の香りで多くの観光客の目を楽しませてくれる。

ボタンは中国で昔から「花の中の王様」と呼ばれ、幸福や繁栄のシンボルとされてきた。中国人がボタンをことのほか愛するのは、やはりその上品さゆえである。「春に咲く花は絵画のように美しく、夏の葉は水を打ったように清浄で、秋の枝は鉄のように力強い。また、冬の雪に耐える新芽は梅のようでもある」と、ボタンを称えた詩人もいた。また、中国の文学や芸能の中でもボタンはしばしば重要な題材として取り上げられている。

例えば、ボタンについて、次のような話が言い伝えられている。唐の時代、中国史上唯一の女帝である則天武后が即位した年の冬、庭園で雪見の宴を催した。その際、彼女が酒興に乗じ、すべての花に「花を咲かせよ!」と命令した。花々はそれに逆らうことが出来ず、皆咲き出したが、ボタンだけは従わなかった。則天武后は非常に怒り、牡丹を都から追い出してしまった。ところが翌年、春風が吹くと、地方に追放されたボタンは競うように花をつけ、ますます美しく咲き誇った。その後、ボタンは人々に猛威にもめげない花と讃えられるようになった。

ボタンは昔から高貴、美貌のシンボルとされ、「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」と、美しい女性をボタンに例えることがしばしばあった。唐代の名詩人・李白と白楽天は中国4大美人の一人・楊貴妃をボタンに例えたことがある。これについて次の逸話が伝えられている。

唐の玄宗皇帝はボタンが好きなので、ボタンの花が満開の時になると、いつも美しい楊貴妃と一緒に観賞した。ある日、玄宗皇帝は楊貴妃をともない花を愛でて、遊宴していた時、有名な詩人李白を呼び詩を作らせた。当時、李白は泥酔していたが、たちどころに三首連作を作り、楊貴妃の美しさをボタンに例えた。玄宗皇帝はこの詩が気に入り、音楽師に命じて李白の作る詩に合わせて音楽を演奏させ、自分が笛を吹き、楊貴妃を楽しませたという。

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