恭王府は中国で一番よく保存されている王府で、乾隆四十一年(1776年)に建てられました。王府の主の中で、かつて極めて有名で、権力が非常に大きい二人がいました。一人は乾隆帝の寵臣の和珅大学士、もう一人は咸豊(かんぽう)帝の弟にあたる恭親王奕訢です。恭王府という名も恭親王奕訢の住所として付けられました。
恭王府は邸宅と庭園の2つの部分からなっています。総敷地面積は約6万平方メートルで、邸宅は3.2万平方メートル、花園は2.8万平方メートルです。
邸宅は三路五進院制(古代中国の建築規格の一つ。三路五進院は三つの主道路があり、縦に五つの広間が並ぶということを指す)で規模が大きく、建築様式が立派で壮大です。中路建筑の屋根は緑色瑠璃瓦で、皇居に次ぐ恭王府建筑の規格を示します。
「翠錦園」(すいきんえん)と呼ばれる庭園は、各花の綺麗さと錦繍の華美さを集めることを意味しています。全体のレイアウトとしては三方が山に囲まれ、中に40余りの景観と名所があります。中に入ると、まるで山水の間を歩くかのようです。
恭王府の邸宅と庭園は歴史が長く、清代の王府文化の奥深さと精華を含んでいます。「恭王府を通して、清朝の歴史的な姿を見られる」という一句はその最もふさわしい描写です。(叶威 訳)