首都の心臓――天安門城楼

2010-12-07

天安門城楼は北京の古くからある中軸線にあります。城楼は、城門と櫓の二つの部分からなっており、漢白玉石(白色の大理石)でできた高さ34.7メートルの須弥座があります。城楼のうえには、60本の朱色の通し柱が立っており、地面は金色のレンガで平たく敷かれています。色鮮やかな高い壁のうえには、黄色の琉璃瓦で覆われた二重の屋根があります。建築の幅は、東西は9間、南北は5間で、帝王の尊い身を象徴しているのです。南北の両側にはすべて菱模様の格子の門が設けられ、36枚の朱色の菱模様の扉がついています。天井、アーチ、梁に、中国伝統の金竜の彩色画と縁起の良いものが描かれています。金箔の貼られた「双竜合璽」の図案と、とぐろの竜の模様の天井が、殿堂全体に厳かで雄大な雰囲気を醸し出しています。中では、450キログラムの八角の宮灯に、16個の1つあたり350キログラムをする六角の宮灯が加わり、多くの星が月のまわりに集まる図案をしています。

城楼のしたには門が五つあります。真ん中のいちばん大きな門が、北京の中軸線に位置しており、昔では皇帝しか通ることができなかったです。今は、そのうえに、毛沢東の巨大な肖像があり、両側にはそれぞれ「中華人民共和国万歳」と「世界人民大団結万歳」という大きなスローガンが書いてあります。当初(1421年)、明の成祖=朱棣が首都を北京に移し、そこで北京城を築き上げました。外城、内城、皇城、紫禁城の順で、外側から内側までは凸という文字の形をした雄大な城です。永楽18年(西暦1420年)にできた承天門(天安門の前身)は、都城の中でも重要な建築とされたが、そのときは、ただの三階建て五基鳥居のようなもので、真ん中には「承天之門」という扁額が掛けてあるだけに過ぎなかったのです。明の天順元年(1457年)に、承天門は落雷によって焼失したが、すぐには修復されず、成化元年(1465年)になってはじめて、工部尚書の白圭の主宰のもと、今日の天安門のように再建されました。その後の明の180年間に渡って小規模な修復作業が行われたことがありますが、大きな改造はなかったです。崇禎十七年(1644年)、李自成が、農民蜂起軍を率いて北京を占領したとき、承天門は再び戦争によって壊されました。清の順治八年(1651年)、世祖の福臨の命令によって、承天門は再建され、「天安門」と改められました。のちの康熙二十七年(1688年)と1952年には、二回大きく修復されました。1970年の再建は、清の順治時代の形式をほとんど維持しました。再建後、天安門の高さは83㎝増え、地面からの高さは34.7mとなりました。1949年10月1日、新しい中国はここで成立を宣言されました。天安門は中華文明と長い歴史のシンポルとして、封建社会の栄えと終焉を見守ってくれました。古い年代を持っているにもかかわらず、活気に満ちている姿で未来を待ち続けています。アクセスは北京地下鉄1番線、1、4、5、8、10、20、22、37、52、728番のバスで天安門東で下車します。地下鉄の2番線、9、17、22、44、48、59、66、67、69、71、120、673、690、692、729、808、826、901、特2、特4路等のバス(前のドアから降りる)で行きます。入場券は15元です。学生と70歳以上のお年寄りは5元です。現役の軍人は無料となります。営業時間:8:30-17:00

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