国の恥を忘れずーー円明園の遺跡

2010-12-04

円明園は北京市西郊の海淀区に位置して頤和園と隣接している。清代の康熙帝の46年(1707年)に造営が始まり、園明園、長春園と綺春園からなる。総面積は350ヘクタールで(約5200ムー)、その中、水面の面積は140ヘクタール(約2100ムー)である。庭園景色が百所余りあります。建築面積は16万へーホーメートルを超えている。それは清時代の皇帝が150年あまりをかかって創建し、経営した大型の皇家庭園である。

円明園は中国の優れた造園伝統(3000年あまりの歴史がある)を継承した。宮廷建築の鷹揚もあれば、江南庭園の婉曲もある。同時にヨーロパの庭園建築形式も吸収して多種の建築風格を融合した。総体の分布は調和で完璧とも言えるだろう。「人間に作られても、自然的であるらしい」と言ってもよい。

円明園は庭園で知られているばかりでなく、豊かな収蔵品を持つ皇家博物館でもある。「もし我が国のノートルダム寺院のすべての宝物を加わえられても、その煌びやかな東方博物館にも及ばない」とフランス作家のユーゴは言った。各殿の中に数えられないシダン木製家具が飾られていて、国外内の稀な文物が陳列されている。中の文源閣は全国四大蔵書楼の一つであって、『四庫全書』『古今図書集成』『四庫全書荟要』などの貴重な書物や文物などが所々に隠れられている。

不幸なことに、1860年10月、この名園は英仏連合軍によって破壊され、略奪された。それ以来、何回の破壊や略奪の繰り返しの後にとうとう廃墟になった。血と火の洗礼を受けた円明園は中国近代史の歴史書であるとも言える。人々を驚かせる価値を持っている。

円明園の火事:清の咸豊十年(1860年)に英仏連合軍は北京を占拠した後、10月6日に円明園を奪った。中国の守備軍は敵より多勢に無勢でかまわなっかたため、円明園の管理大臣――文豊もしかたがなくて福海に飛び込んだ。英仏連合軍の破壊と略奪が前後二日に続いた。最後に侵略者は城内に侵攻し始まった。10月11日、英軍は騎兵1200余人と歩兵一連隊を派遣して再び円明園を略奪した。イギリスの代表者ジェームズ.ブルースは清政府が巴夏礼などを円明園に拘禁したことを口実として円明園の焼却を和平交渉の先決条件に入れた。

10月18日、3500名の英軍は円明園に突っ込んで、円明園を焼いた。三日にわたる大火で円明園及び近くの清漪園、静明園、静宜園、暢春園と海淀鎮がすべて廃墟となった。安佑宮の宦官、女官、職人が約300人がこの火事で死んだ。この世界文明史上のまれな暴行は中国文化に大きな災難をもたらした。

円明園はかつて大きな規模、優れた建造技術、豊な文化収蔵、長い歴史などで世界によく知られている。「造園技術の模範」と「万園の園」と呼ばれている。血と火の洗礼を受けた円明園は中国近代史の歴史書であるとも言える。人々を驚かせる価値を持っている

場所:北京市海淀区清華西路28号

320.628.697.801.特6.319.331.432.438.498.664.690.696.826番のバスに乗って円明園の綺春園の宮門まで下車

664.特4.982.365.432.656.681.717.743.814.963番などのバスで円明園の長春園の東門まで下車

園内の交通:バッテリー式電気自動車で緑油門当番部屋から線法橋まで5元(単線);無料で車イスをレントできる(500元の保証金を払う必要がある)

料金:10元、定期券15元切符売り場は綺春園の宮門と長春園の東門に位置する;西洋楼旧跡(大水法、展覧館、迷宮を含む)の料金――15元;円明園の繁盛の全景模型展の料金――15元;円明園の展覧館の見学と解説は無料である。

音声ガイド機の使用費:20(中国語)40元(外国語)(100元の保証金を払う必要がある)

開館時間:5-8月(7:00~19:00);4、9、10月(7:00-18:00);1~3月、11-12月(7:00-17:30)

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