中華庭園建築の集大成――颐和園

2010-12-07

颐和園はもともと清の皇帝たちの行宮と庭園でした。その前身は清漪園であり、「三山五園」の中では最後に築かれた庭園です。(注:三山は万寿山、香山と玉泉山です。三つの山には、それぞれ静明園、静宜园、颐和園が立てられているから、ほかに近くにある暢春園と円明園をあわせて五園と呼ぶわけです。)颐和園は1750年に着工され、1764に完成しました。面積は290ヘクタールで四分の三は水面です。乾隆執政までは、北京の西側には既に四つの大型皇族の庭園が出来ていたが、海淀から香山までのこの四つの庭園はそれぞれ独自の風格を持ち、庭園同士にはつながりを欠いているし、真ん中にある「甕山泊」も空き地のままでした。乾隆十五年(1750)年、ここに清漪園が築かれ、両側の四つの庭園を一つの整体に繋げることによって、清華園から香山までの長さ20キロもあった皇族専属の庭園区が出来たのです。咸豊十年(1860年)、清漪園が英仏連合軍によって焼き払われました。光緒十四年(1888年)、西太后が海軍の軍事費を調達する名義で、3000万両白銀を費やしてここを再建し、颐和園と改め、避暑地としました。光绪二十六年(1900年)になると、颐和園は「八か国連合軍」の侵入によって破壊され、数多くの建築物が焼失しました。光绪二十九年(1903年)、颐和園は修復されたが、その後の国民党治下で混戦する軍閥によってまた破壊されました。1949年以降、政府が絶えずに支給してくれた資金による復旧作業が行われてきました。1961年3月4日、颐和園は一回目の全国重点文物保護単位として公表されました。1998年11月に、『世界遺産リスト』に登録されました。2007年5月8日、中国観光局によって、国家5A級観光地と認定されました。2009年、中国世界記録協会によって、中国における現存最大の皇族庭園として登録されました。今でも、数々の世界一、中国一を誇っています。

颐和園は伝統的な庭園芸術の集大成です。万寿山、昆明湖をその枠とし、周辺の山水を借景し、中国の皇族庭園の雄大さを見事に演出しながら、自然の趣も感じられるような、「人によって作られ、自然によって開かれる」という鉄則を徹底的に守りきれた傑作です。颐和園では、あずまや、回廊、殿堂、お寺、小橋などの人工的な風景は、自然の山と広々とした湖と、調和のとれた形で一体感を持っています。庭園全体の構造は芸術的に考えても巧みで中国庭園の代表的な作品です。世界の庭園の歴史においても、重要な地位を持っています。

颐和園は規模の大きい観光地で、敷地面積は2.97平方キロ(293ヘクタール)です。万寿山と昆明湖からなっています。水面は4分の3(約220ヘクタール)を占めています。園内の建築は、仏香閣をはじめ、観光建築100軒以上、広さまちまちの中庭20何箇所、古い建築が3555軒あります。建築面積は70,000平方メートルあり、あずまや、高殿、回廊、水亭などの違う種類の建築は3000軒以上あります。古木や有名な木は1600本あまりあります。その中では、仏香閣、長廊、石舫、蘇州街、十七孔橋、諧趣園、大戯台などは、知らない人もないほど有名な代表的な建築になっています。

園内の主なスポットはおおざっぱに三つの区域に分けられます。厳かな仁寿殿をはじめとした政治活動区域は、清の末期に、西太后と光緒皇帝とともに、内政や外交などの活動を行う主な場所です。楽寿堂、玉瀾堂、宜芸館などの庭園を始めとした生活区域は、西太后、光緒皇帝、皇后と妃嬪が暮らしていた場所です。残りは万寿山と昆明湖などからなった観光区域です。そこはさらに万寿前山、昆明湖、後山後湖という三つの部分に分けられます。長廊一帯、後山、西区からなる広々とした区域は、皇帝とその家族たちの、散策や暇つぶしのための場です。前山は、仏香閣を中心に、巨大なる主体建築群をなしています。万寿山の南の麓の中軸線では、煌く仏香閣、湖の岸にある雲輝玉宇牌楼から始まる排雲殿建築群、排雲門、二宮門、排雲殿、徳輝殿、仏香閣を経て、山頂の智慧海まで、回廊と殿堂の重なり合いつつ、登っていくその規模は雄大なきわまりです。高く聳え立つ三階立ての仏香閣は八面を持ち、山を枕にし、湖を面しており、庭園全体を率いているように見えます。さざ波が青く輝く昆明湖は万寿山の南側に横たわり、庭園面積の四分の三を占めています。湖の中には、広大な十七孔橋は虹や新月のように水面に移っています。橋がつながっている先は湖にある南湖島です。曲がりくねった西堤は緑の帯のように、南北を回り、天辺まで伸びています。土手には六本の橋があり、それぞれ異なる形で美しさを競っています。虚堂、藻鑑堂、治鏡閣という三つの島が鼎立しおり、神話伝説にある「海上の仙山」(=蓬莱)を思わせてくれます。農家の風景を眺めていたら、桑の枝が風になびいて、美しい水墨画を描いてくれます。乾隆皇帝も昔ここに来ていたのは、農家の趣きに富んでいるからでしょう。前湖とつながる蘇州街では、酒屋ののぼりが風に吹かれ、客がにぎわっているのを見ると、一瞬、200年前のあの皇族の商業街に身を置いている感があります。一方、諧趣園は、曲がりくねった川と限りなく伸びる回廊で趣きを演出してくれます。昆明湖の畔には、有名な石舫、生き生きとした銅の牛、春景色の美しい知春亭などの最高な建築があります。後山後湖では、青い水が巡り流れ、古い松の木が高く聳え立っており、雅やかな景色です。

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