乾隆帝建造当初は中国式に楼閣が築かれたが、1860年の第二次アヘン戦争時に上部の楼閣部分が焼失、その後1893年(清の光緒19年)に再建されたが、その際上部の建造物は西洋式に変更され、「河清海晏(黄河も清く大海も波静か=天下泰平)」という言葉から「清晏舫」と名付けられた。再建後の楼閣も木造構造だが、外壁は塗料で大理石の紋様が描かれているため見た目には石造に見える。
2層の楼閣にはステンドグラスで装飾された窓が造られ、各階には大きな鏡が置かれている。
これは西太后が雨の日に室内で茶を楽しみながら、鏡に映る雨の様子を眺めたものと言われている。また船台部分から突き出ている4つの龍頭は排水施設で、楼閣に降り注いだ雨水が楼内の配水管を伝わってそれぞれの龍の口から吐き出される仕組みだ。



