頤和園の昆明湖(こんめいこ)

2011-07-18

頤和園の全部を回ると1日かかってしまうので、今日は頤和園の東の入口である新建宮門を入って、東岸を通って、長廊や仏香閣を回って、北宮門から帰るコースを想定している。頤和園の新建宮門を入ってすぐのところに碑楼が建てられていて、碑楼をくぐると昆明湖が目の前に広がる。

昆明湖は頣和園2.9km2の4分の3を占める大きな湖で、杭州にある西湖を模して作られた。西湖を模したのは西太后ではなく、もともとの庭園を造ったのが乾隆帝で、乾隆帝は書のコレクションの収拾などを目的に、たびたび江南地域(杭州、蘇州、紹興、揚州といった地域)にでかけていた(行幸という)。江南行幸の中で印象深かった杭州の西湖を作りたいという乾隆帝の強い願いが、この昆明湖になったわけ。このように、頣和園の中には、至る所に中国江南地域風の味付けがなされている。

西湖は面積が6.5km2、外周が15kmに対して、頤和園の昆明湖は面積が2.2km2、外周が6kmだから、西湖ほどではないにせよ、実物の3分の1くらいの模倣庭園を造ってしまう中国皇帝の力の強さを感じる。もっともこの原型を作った乾隆帝の時代は清が最盛期を迎えていたころで、こんなに広大な庭園を造っても清の財政は揺るがなかったのだが、これを再建した西太后の時代は清が列強諸国に侵略されつつあり真の財政状態も極まっていた状態だったので、この頤和園の再建が清の滅亡を早めた一因だとする考えも納得できる。 昆明湖に浮かぶ南湖島に東岸から架かる十七孔橋は長さ150mの石造り橋で17の穴が開いた形になっているのでその名がつけられた。大変優美な橋で、杭州西湖の白堤に架かる断橋がその原型。南湖島は昆明湖にある小島。

文昌閣は三層の建物だが、城門としての機能もある。文昌閣という名前は文昌帝という道教に出てくる学問の神様から来ている。文武の政治を補佐するという意味がある。文昌閣を過ぎると城内に入った感があり、華麗な建造物が建ち並ぶ。

文昌院は頤和園の中ではあまり有名ではない、でもここで西太后が収集した宝物や陶器を展示してるので、寄ってみる価値がある。

文昌院の中の廊下が最近修復されたのか、絵の色使いがとても鮮やか。 廊下の十字や五角、六角、炎型などに開けられた窓が空窓といって、蘇州の庭園の作りをまねたもの。

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