北京の四合院を飾る縁起物

2011-09-02

都市の近代化にしたがって、北京の古い建築様式・四合院が、だんだんと姿を消している。明、清の時代に誕生し、当時は、庶民たちの住まいとして広く一般的に見られた四合院は、いま、都心の一部地区でしか見られないようになっている。またわずかに保存された四合院も風化によって、また住民の不注意によって壊れることもあり、昔のまま残っているものは、数少なくなっている。

故宮が皇帝のものだとすれば、四合院は庶民の住宅である。かつて、故宮と並んで北京の建築物の代表格となっていた四合院に、様々な「飾り」があることはご存知だろうか。

まず、四合院の入り口に、「門坎」と呼ばれる敷居のようなものがある。日本では、木製のものが多いようだが、北京の四合院は木だけでなく、石製のものもある。また、昔は馬車が主な乗り物だったから、その出入りに便利なように、一部の四合院には、「門坎」を門に固定せず、移動可能なものにしているところもある。 そして、人々の考えでは、この「門坎」はうちと外を区切る境界線というだけでなく、妖怪などを寄せ付けないための"縁起物"にもなっている。だから、門を出る時、「門坎」を踏んではいけない。またいで越えるのである。これも日本と同じだ。また、お客さんを送るときの礼儀として、お客さんを門坎の外まで見送る。

次、おなじみの「門トン(土へんに敦)」である。これは門扉の回転軸を支える土台で、白い大理石で作ったものが多い。形は、その多くが獅子、虎、太鼓、箱などに彫刻されている。 昔、獅子や虎は「野獣の王」とされ、昔の人は、それらの動物で家を守ることを考え、「門トン」を獅子や虎の形に作ったそうだ。また、太鼓や箱の形をしたものもあり、その上に家紋などが刻まれている。これは四合院の主人の社会的地位を表すもので、縁起のいいものとされてきた。

つづいて、目線を門の下から扉の真ん中ほどに向けると、訪問者が来訪を知らせるノッカー「門首」が見られる。銅や鉄などの金属で左右一対のものを取り付けることが多い。金属製のため、朱塗りや黒塗りの門によく映えて、ピカピカと輝いている。また、丸形をしているので、昔はこれが、まるで人の目のように、門の外に睨みを利かし、うちの世界を守ってくれる存在だとされた。

このほかに、「門鏡(扉に掛けた丸い鏡)」、「門神(門扉にはる神像)」などもあり、いずれも魔よけで、家内の安全を守るものである。

門をくぐって見えるのは、庭の風景ではなく、目隠しの塀・「影壁」である。いろいろな塑像がはめ込まれた塀は、魔よけのほか、庭の中を直接見られるのを避けるため、置かれたものであるが、今では、鬼ごっこなど、子供たちの遊び道具となってしまった。

昔、四合院を建てるとき、これらの飾り物は欠けてはならないものとされていた。一つ一つには、それぞれの由来があるが、「吉を祈り、福を求める」という人々の願いは共通している。昔の北京の民俗風習が体現される四合院。中国の伝統ある文化を理解するには、四合院を見物しながら、その飾りに目を向けてみるのもいいかもしれない。

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