北京地下鉄のたびー新街口駅

2011-12-29

1953年に出版された『宛署雑記』に「新街口」という地名が初めて出てきた。「新しく開かれた町」という意味でこの名がつけられた。ここはT字路になっており、西を向けば西直門の牌楼、北を向けば高くそびえた北城の壁が見え、そして南には西四の牌楼があった。新街口は南北を結ぶ大運河の終点であった積水潭、また護国寺にも近いため繁栄した場所だった。西単、前門の賑やかさには及ばないが、商店が立ち並び、人々が集まる場所だった。現在の新街口も道の両側に小さい店が立ち並び、特に楽器店が多いのが特徴である。

観光スポット

蔡鍔旧居

棉花胡同66号にある四合院は、見たところ他の四合院と何ら変わることのない一般的な住宅である。しかし、一般には見られない一つの札が掲げられている。ここは重要文化財ではないが、ここは名将と言われた蔡鍔(1882~1916)が、かつて袁世凱により2年間、軟禁されていた場所である。昔ながらの北京の風景の中に、歴史上の逸話が秘められてる。

鄭和旧居

蔡鍔旧居のある棉花胡同の北側に三不老胡同がある。清代に書かれた『乾隆京城全図』によれば、"三伯老胡同"と呼ばれていたことがわかる。さらに明代には"三保老爹胡同"と言う名前だった。伝えられている話によると、ここには明代の武将で、7回もの大航海を指揮した人物、鄭和が住んでいた地だそうだ。"三保"とは鄭和のことを指し、"老爹"とは当時権力を持った人や年長者を敬う尊称である。当時の人々がいかに鄭和を尊敬していたかが伺える。

八道湾胡同11号院

1912年に魯迅は北京にやって来た。しばらくは紹興会館に腰を落ち着けたが、1918年に八道湾胡同11号院を購入した。ここは紹興にある自宅を除くと、魯迅の家族や親類が集まる唯一の場所だった。当時、ここは文化サロンとしても知られ、『故郷』、『阿Q正伝』、『中国小説史略』が誕生した地でもある。

ショッピング

新街口一条街

ここは北京の大繁華街ではなく、地域に密着した繁華街である。大きなビルやデパートなどはないが、道の両脇には個性的なお店が立ち並び、見るだけでも楽しめる。特に楽器店や音楽関連の店が多く、音楽好きの若者が集まる。手軽に食べられる軽食を売るお店も多く、北京らしい生活が感じられる場所。

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