東岳廟

2012-05-17

東岳廟は朝陽門大街の北側に位置する。元の時代、第三十八代張天師張留孫によって建立が計画されたが、張留孫は完成前に羽化。その後、張宗師、さらに呉全節が継承して完成させた。元の至治3年(1323)に竣工す。その後たびたび修改され、現在の建物はほぼ清代の改築になるものである。1900年の八カ国連合軍進攻の際、日本軍が占拠し破壊、建国後警察学校として利用された。1998年から北京民俗博物館として50年ぶりに一般公開が始まった。

道教の正一教寺院としては華北地区最大の規模を誇る。新中国成立から衰退が始まり、学校や政府機関として利用されたが、民俗博物館となってからは春節(旧正月)の時期に盛大な廟会(縁日)が開かれ、多くの人で賑わう。

東岳大帝は道教や民間信仰で祭祀される神である。その主な仕事は冥界を管理することである。すなわち、あらゆる死者の魂は山東の泰山に行き、そこで東岳大帝の裁きを受け、地獄に落とされたり転生させられると考えられている。東岳は五岳(泰山、華山、衡山、恒山、嵩山)の長であり、古来より帝王らによって祭られていた。

『封神演義』において、黄飛虎を東岳大帝に当てたため、一般に黄飛虎が東岳であるとの説も広まった。黄飛虎は、『武王伐紂平話』にも登場する将軍であり、本来は東岳とは何の関係もない。ただ、『封神演義』の流行により、この説はかなりの信憑性をもって語られている。もっとも、泰山自体ではその後、娘である碧霞元君の信仰の方が盛んになったと言われる。また息子の炳霊公は、泰山三郎として有名な火神である。

東岳廟は中国道教を理解するうえでは必見の場所といえる。

瞻岱門:元の1322年に建てられ、明の1447年に修復。門の両側には道教を護持する二対の像が日本の仁王像のように立っている。

岱岳殿:東岳廟の本堂にあたり1322年に創建、1700年に再建されている。中では高さ4.46mの東岳大帝の座像が安置されて、祀られている。

小金豆子:岱岳殿の西側の基壇に埋め込まれている天然の銅鉱脈。雨上がりにはきらきらと金色に輝くためこのように呼ばれる。この上をまたげば幸せな一年が送れると言われている。

碑林:東岳廟には多くの石碑が立っている。すべてで140基以上であると言う。明清王朝の皇帝や文人の碑が多い。元代の書家が書いた石碑「張留孫道行碑」が有名。

戟門:この門は、またの名を瞻岱門、あるいは龍虎門と称す。中には龍大将虎大将、それに太保らの像が安置されている。

三茅殿:ここでは、三茅真君を祭る。七十二司:七十二司は冥界の官吏である。実際には七十六司ある。地獄の裁判の状況が描かれる。

炳霊公殿:炳霊公は東岳大帝の三男。泰山三郎と称される。『封神演義』では黄天化を炳霊公に当てているが、これも本来は関係がないものである。

住所: 朝陽区朝外大街141号

電話: 010-65510151

アクセス:バス109、112、110路神路街下車

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