唐人坊―絹人形

2012-07-31

北京市通州開発区内、周囲約2.67ヘクタールほどのナツメの木が植えられた庭園のなかに、「唐人坊」はある。唐風の二階建ての建物で、周囲にはさらさらと水が流れ、静かで心地よい環境である。「唐人坊」は、絹人形を製作•販売している店舗で、オーナーである唐燕さんの名をとって名付けられた。

北京の普通のホワイトカラーの家庭に生まれ育った唐さんは、小さいときから、ぬいぐるみや布製の人形が大好きだった。国産のものでも外国のものでも、気に入った人形を見つけると、必ず手に入れた。大学でコンピューターを専攻し、卒業したのちも、まだあどけない心が残っていて、夢の中でも人形たちといっしょに遊んでいたという。北京の伝統文化の薫陶を受けたのち、唐さんの自ら布製の人形を作りたいという思いはますます強くなった。

幸いなことに、大学の専攻が彼女の思いとぴったり一致した。唐さんは、よくおもちゃ屋やウエディングドレス専門店、民芸品店などを回る。好きな工芸品を見かけたら、脳にその姿を刻み付け、すぐさまコンピューターのモニターのうえに再現した。唐さんは頭の回転が速く、人形のデザインも新鮮なので、彼女の人形はしだいに人気を呼んでいる。

実は、「唐人坊」の布製の人形は、中国では千年以上の歴史を有する「絹人形」である。「針扎」や「彩扎」などの手作り民芸品は、みな「絹人形」と密接なつながりがある。

民間では古くから、竹や紙などを材料として、さまざまな民芸品がつくられてきた。唐の時代(618~907年)には、福建南部の農村で、「彩扎」という民芸が盛んになった。最初は紙で鳥や獣、魚、花、虫などをつくっていたが、後には流行劇や神話伝説が描かれた飾りちょうちんが作られるようになり、至るところに飾られて、人々に鑑賞された。そののち、飾りちょうちん工業がしだいに発展し、彩扎の民芸品となった。史料によれば、北宋の時代(960~1279年)に、民間職人があや絹で人間の形を作り、錦を裁断してその衣服として、美しい人形を完成したという。明時(1368~1644年)に至っても、絹人形作りはやはり民間で行われていた。

絹人形のデザインは、中国の民話に出てくる宮廷の美人や、劇の登場人物、民間舞踏の姿からとられている。職人の丁寧な手作業によって、絹は生き生きとした人形となる。絹人形の頭や両手のつめものも生糸でつくられ、人形の頭から脚まで、内部から外側に至るまですべて絹でつくられているため、「絹」人形と名付けられた。

一見、絹人形は簡単に作れそうであるが、その製作技術やデザインには工夫が凝らされていて、複雑である。デザイン画をつくり、頭をつくり、手をつくり、服を作り、髪をつくり、小物をつくるなどなど十数のプロセスを経て、最後に組立ててようやく立体的な絹人形ができる。この絹人形の全製作プロセスは、絹織物に命や魂を与える過程だといえる。例えば、人形の髪となる生糸を一本一本にしごくのは、何日もかかる作業だ。さらに、人形の手をつくるには、まず5本の極細の針金と脱脂綿で手の形をつくり、柔らかい生糸できわめて小さい手袋を縫う。縫い上げた手袋を裏返しにして、針金でつくった手にかぶせる。一本の指の太さが2ミリにも満たない小さな手袋を裏返しにするのは、非常に面倒くさい作業だ。さらに「手」のポーズをつくり、時には爪にマニキュアをしたり、指輪をはめたりして、ようやく完成に至る。すべてが2センチ平方足らずの絹織物によって行われる作業で、完成した人形は、糸の切れ端や縫い目がまったく見えないものが逸品とされる。

職人の精巧な技によって作られた絹人形は、一体一体が劇中の古代人の服を着て、人物の気風を表現しており、真に迫って生き生きとしている。特に、人物が見栄えを切る一瞬の姿を描き出した人形は、十分にその人物の気質や性格を示しているうえに、静かな中にも動感を感じさせ、それぞれの人形がみな情趣にあふれている。

現在、「唐人坊」の絹人形作品には、京劇、紅楼夢の登場人物、唐人、宮廷美女、中国少数民族という五つのシリーズがある。すぐれた技法、すばらしい素材をもつ「唐人坊」の製品は、国内外へ広く売られ、人々に喜ばれている。

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