徽墨

2012-08-23

筆、紙、硯と共に文房四宝の一つに数えられる墨の発明は、中国文化だけでなく世界文明に多大な貢献をしている。安徽省で作られる徽墨は古くから品質の良さで知られ、多くの書画家から愛されていた。墨は油煙や松煙から採取した煤(スス)を膠(ゼラチン質)で練り固めて作られる。墨の形は長方形、円形、楕円形など多種多様で、漢時代は墨丸と呼ばれる円形墨が多く見られた。

安徽省、績渓県、黄山市屯渓区、歙県両地は、徽墨の生産地として有名である。ある文献によると、徽墨の歴史は唐時代にさかのぼる。古代では、花崗(かこう)岩, みかげ石を使用して文字を書いていた。漢時代(206B.C.-A.D.220)に入り、墨が代わって使われるようになった。初期の墨のほとんどは、北方で生産されていたが、唐時代、北方の多くの墨職人は戦火を逃れて、南の安徽へと移り住んだ。北方の易水から安徽に移住した奚氏の一族は、松煙を使い、調合具合等を研究し、従来の製墨方法に改良を加えたこれまでにない良質の墨を作ることに成功した。奚氏の墨は瞬く間に有名になり、南唐時代の皇帝、李煜は奚氏を「墨務官」に任命し、李の姓を与えるほどであった。彼らの作る墨は「李墨」と呼ばれ、「黄金は得易く、李墨は得難く」との名言が残るほど絶賛された。のちに安徽は製墨工業の中心となり、第一期の最盛期を迎えた。

宋元時代には、さらに製墨の技術は発展し、漢方を添加した薬墨が生まれた。また、この時期から、墨を収集する人々が現れ始め、墨は書画の道具としてだけでなく、芸術工芸品としても発達することとなった。明清時代には、植物油や膠(ニカワ)などが添加されるようになった。現代の墨の原料は、主に、油、漆、膠、香料などである。

墨は、硯の上ですり、墨汁として使用する。墨を硯で磨る工程は書道家にとって非常に重要である。正しい角度、強さで擦らなければならず、それぞれ好みの墨液を得るために独自の方法を研究している。徽墨は、漆のように艶やかに黒く発色し、色あせしにくい、香りが良い、虫に喰われにくい、等の特徴がある。

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