中国曲芸

2012-08-10

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曲芸は中国説唱芸術の総称で包括している種類は非常に多く、全国各地の曲芸を皆合わせれば300種類余りに達する。このように種類が多様な曲芸は全体的に見れば相声、鼓曲、快板、評書の四種類で区分することができるし、その中でも特に鼓曲の種類が最も多い。

曲芸は中国でも古い芸術の一つで、話によれば、かつて2000余年前に中国には「伶人」と呼ばれる説唱公演を主な仕事とした芸人があった。しかし唐代以前の中国説唱芸術の状況に対する根拠資料は大変少ない。考証できる最初の文物は四川成都付近の東漢時代古墳の中で出土した「伶人傭」であるが、その「伶人」はわきに鼓を挟まって手にうちわを揺さぶって片方の足を高く上げていて、このような動作表情で見ればあたかも太鼓を叩いて歌を歌っているように見える。これは今の「説書」の姿と似ているから人々はそれを「説書傭」という。まだ中国戯曲研究者らは唐代以前の中国説唱芸術の状況に対してたとえ多くの歴史的資料を持って説明できないが、この「説書傭」は漢代にすでに説唱芸術があったとのことを証明すると主張する。

唐代に達して説唱芸術は文字で記録され始めただけでなく、説唱に使われた"脚本"もあったのでこれがまさに敦煌で出土した"変文"である。"変文"は本来仏教を講唱するために使われた解説であり、その中には若干の民間語辞が挿入されているので後には徐々に発展して仏教とは関係がない説唱芸術になった。宋代になって都市商業と手工業の発達に従って"勾欄" "瓦舎"を舞台にした市民文化が旺盛に起きて説唱芸術は速かに発展した。一方では多くの曲芸芸人があふれ出て、他の一方では説唱芸術の種類も増加した。説唱には話すのと歌うこと、話して歌うことなどがあるのに、これらは社会的な文化生活を非常に豊富にして、中国曲芸の基礎を固めた。元、明、清時代に中国の説唱芸術は宋代の基礎の上で持続的に発展して全国各地で流行したし、種類もますます豊富であった。

新中国は成立した後、中国の各種の説唱芸術は「曲芸」と称された。中国政府では伝統曲芸の収集、整理、革新事業を重視して全国各地に専門曲芸団を設立した。既成芸人らには芸術的才能を十分に広げる場を提供し、新進芸人らには成長に良好な環境が提供されたので、新しい曲芸作品が無限に出現することができた。旧中国で曲芸は「小市民の文芸」「低俗な文芸」と見なされて"大雅之堂"に上がることができなかった。1949年以後に曲芸はそれの特殊な芸術的興趣で大衆の歓迎を最も多く受けた芸術形式中の一つになった。今、総合性の文芸公演には必ず曲芸プログラムがあって、そうでなければ人々はなぜか何となく寂しい感じを持つようになる。

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