歙硯

2012-08-31

筆、紙、墨、硯の「文房四宝」のひとつに数えられる硯は、陶器、金属、漆、磁で作られたものなどがある。石の硯が最も一般的であり石の種類も様々である。石の採取される地域には必ず石工があるといわれ、硯は中国各地で生産されている。中でも天然石の美しさと品質の高さで名高い安徽省の歙硯(日本語:きゅうけん)は、甘粛省の洮硯、山西省の澄泥硯、広東省の端硯と並び、中国四大名硯のひとつに数えられる。

歙硯は、歙州硯、龍尾硯とも呼ばれ、硯史上では端硯と名声を二分する名硯である。江西省上饒市婺県から安徽省歙県にかけての山脈から産出する天然石を原料としている。端硯と同じく多くの硯抗があり、採掘された抗によって色、紋などが異なる。

歙硯の質は、固く引き締まっていて、きめ細かく、しっとりとすべらかで、堅、潤、柔、健、細、膩、潔、美の八徳が揃う。墨磨りが良く、発墨に優れ、磨った墨は艶やかで、夏に枯れず、冬に凍らない。墨が残った場合は水につけると容易に落ち、長持ちするのも特徴である。

石の色は、灰色を基準として、黒、青、緑、黄、赤紫などのものがある。また石紋も様々であり、他の石とは一線を画している。最高級と言われるのは、羅紋と呼ばれるもので、絹のような繊細な石紋があり、青黒い。他にも、刷毛で撫でたような刷糸羅紋、細波のような水波紋、人の眉毛のような眉子紋などがある。

硯の製作は、石を選ぶ事に始まり、決めた形に切り出し、彫刻を施し、磨きをかけて、箱に納めて完成する。一般的に浮かし彫りで彫刻され、立体的な透かし彫り技法が使われることは少ない。龍や魚、御殿、人物などの彫刻が精巧に施された。

歙硯の歴史は唐時代(618-906)に始まった。南唐の元宗年間から、役所の管轄のもとに採石されていた。五代十国時代(907-960)には、皇帝の命をうけ、宮廷内の文献記述や海外の客人へと贈答品用に、歙州に専門の工房が建てられた。宋時代(960-1279)、歙硯の生産は全盛期を迎え、大規模な採掘が行われて数々の名石が掘り出された。日本等東南アジア各国での需要が高まり、多くの歙硯が輸出された。

しかし元時代(1279-1368)末期に入り印刷工業が発展すると、筆と墨を使用する手書きの書画は減少し、実用的な道具としての歙硯は影をひそめる事となった。清時代(1644-1912)末期、続く戦乱や近代化の波にのまれ、歙硯の生産は更に著しく衰退した。

歙硯が再び日の目を見るようになったのは、中華人民共和国(1949~)が成立してからである。書画家や愛好家により、歙硯の需要はしだいに回復した。文革開放の後には、失われつつある歙硯の伝統を保護しようという動きが強まった。

現在、歙硯は実用的な道具として優れた性質を持つだけでなく、芸術的価値の高い美術品として広く知られている。しかし、歙硯を製作する技術や工程を受け継ぐ若い世代は少なく、貴重な伝統工芸は消滅の危機にある。加えて、原料となる天然石の不足も深刻な問題となっている。2006年、歙硯は「中国無形文化遺産」に登録された。

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