紫禁城の昨日明日

2012-11-09

北京市の中心部に、きらびやかな色彩に輝く壮大な建築群がある。世界に現存する中で、最大にして、保存状態が最も良好な帝王の宮殿-紫禁城である。中国の数千年に及ぶ封建時代を体現する歴史資料として、紫禁城はすでに「故宮博物院」に名を改められ、1987年には国連ユネスコの「世界文化遺産」にも登録され、北京の代表的観光スポットとなっている。

北京が町として建設され始めたのは3000年以上前のことであるが、支配王朝の国都になったのは800年余り前の金の中都からのことである。その後、金を滅ぼした元は、建都わずか60余年の金の中都を破壊し、新たに土地を選定してその都・大都を築いた。このときから、北京城の建築構造は中軸線によって対称に展開されるという厳格な配置をもつようになった。南は永定門から北は鐘楼まで故宮を貫いて走るこの中心線は、全長7.8kmに及ぶ。明以降の600年間、この中軸線を挟んで両側に立ち並んだ建物は基本的に完全に保存されてきた。統計によれば、北緯40度線上に建設された世界の各大都市の中で、北京が最も古い歴史を有している。

紫禁城(故宮)の造営は西暦1407年に計画が組み始められ、1420年に完成した。その後、幾度も増改築が繰り返されたが、配置は全体として変わっていない。はじめて故宮の主となった明の成祖・朱棣帝から数えて明・清両代の24人の皇帝がこの宮殿の玉座に座し、中国を支配していた。これらの皇帝の中には大きな志を抱き、自ら政務を執った名君もあれば、君主の器になく、宮廷の内部争闘の犠牲となった凡庸な君主もある。

故宮は東西の幅750m、南北の長さ960m、敷地面積は72万㎡に達し、世界の最大級の広さを誇っている。故宮にはいったいどれくらいの部屋があるのか?これについて、明確に回答できる者は未だいない。民間では、故宮には9999の部屋があると伝わっているが、この数字は、古代中国人の数字に対する感覚からきたものだといえる。古代の人々は、「九」が一桁の中でもっとも大きいものであることから、皇居に関するものには、当然それに相応する最高の「9」を用いた。また、「9」は中国語では「永久」の「久」と同音であるので、国の安寧が永久に続くようにとの意味をこめて用いたのである。伝説では天上界の天帝の宮殿には1万の部屋がされており、人間の世の君主である皇帝は天帝に遠慮し、1部屋少なく言っているという説もある。実際の調査では、故宮には8700あまりの部屋が確認されている。

この壮大な故宮は、大きく二つの部分に分けられる。皇帝が政務を聴く南の「外朝」と、皇帝と后妃たちの居所、すなわち北の「内廷」である。外朝も内廷も、すべての建物は中軸線の東西両側に整然と並んでいる。ほとんどの建物は黄色を基本色としており、宮殿の屋根には黄色の瑠璃瓦を葺かれ、室内もほとんどが黄色に塗られている。黄色は権力のシンボルとして長い間、皇帝だけが使用する色とされ、ほかのいかなる者であれ、禁を犯して鮮やかな黄色い服を着用すれば斬首刑にされた。故宮でただ一つ黒い瑠璃瓦を使った建物は、蔵書楼の「文淵閣」である。中国の伝統文化では、黒は「水」を象徴し、「火」に打ち勝つものとして防火の意味で蔵書楼に用いられたのである。ここからも建物の色使いには、細やかな注意が払われていたことが分かる。

故宮のもっとも有名な建物は、恐らく外朝の前三殿、太和殿、中和殿、保和殿であろう。三殿とも高さ8mの巨大な台の上に建てられ、総面積は約8万5000㎡に達する。うち、もっとも高い金色に輝く太和殿は、人々から「金鑾殿」と呼ばれている。太和殿は間口60.1m、奥行き33.33m、高さ35.05m。直径1mに達する92本の柱で支えられ、中央には権力のシンボルである「竜座」が置かれている。この「竜座」を囲む6本の柱は金粉漆で塗られ、金箔を貼られた竜が胴を巻きつけている。壮麗な外観を持つ太和殿は、皇帝の即位や婚礼、皇后の冊封、遠征する将帥の拝命の式典が行われた場所で、その式典は数千人が「万歳」を叫び、数百種の楽器が同時に奏でられた盛大なものであった。「竜座」に坐って在りし日の皇帝の気持ちを体験することは勿論できないが、100年前なら傍に近づいて中を覗き見ることさえ想像もできないことであった。

内廷の建物は乾清、交泰、坤寧の三宮殿と東西両側の東六宮と西六宮を中心に構成されている。ここは皇帝と后妃たちが居住する所で、一般には「三宮六院」と呼ばれる。故宮の多くの宮殿の命名には象徴的な意味があり、古代中国の思想をここに見ることができる。故宮の宮殿の名前を例にすれば、「乾」は天と男性を、「坤」は地と女性を象徴するものである。また「泰」には平安、順調の意味がある。内廷三宮の名前を見れば、皇帝と后妃たちの関係が和やかで、円満な家族関係を祈願するものであることが分かるが、実際は多くの宮廷と同じように、互いに欺き合う血生臭い政治闘争のドラマが演じられた。

現在、故宮の宮殿の多くは一般に開放されているが、中路、東路、西路に分かれたこれらの宮殿の一つ一つを見るには2-3日はかかるだろう。しかも、完全に一般公開されているのは総面積72万平米の故宮の2分の1に過ぎず、残りは修復中で、未公開のものである。故宮博物館ではさまざまな珍しい文物約100万点を収蔵している。そのうちの一部はこの世に唯一の、故宮以外では見られない貴重なものである。故宮博物館では毎年これらの文物の中から一部を選んで、珍宝館、時計館、書画館、磁器館などでそれを公開している。現在、皇権殿、寧寿宮に設けられた珍宝館を見学するには、専用のビニール製のカバーを靴に装着しなければ入場できない。故宮特有の建築材料「金磚」を保護するためである。金磚とは、金でつくったレンガのことではなく、その価値が黄金にも匹敵することから名づけられた宮殿のレンガをいう。製作には焼くだけでも130日間かかり、焼成した後も油に浸さなければならず、完成までに2年を要する。金磚は摩擦に耐え、地中の湿気が室内へ拡散するのを防ぐことができ、見た目も美しい。しかし、金磚の製作技術は伝わっておらず、故宮造営当時に焼かれた予備のものが、わずかに残るのみである。

今日、故宮を訪れる参観客は1日2万-3万人で、休日は10万人にまで膨れ上がる。長年、風雨にさらされたこともあり、故宮の多くの建物は金泥が剥落し、石の彫刻にはヒビが入った個所もある。故宮では、貴重な古代建築を保護するため、一般に開放されて以来修築が中断されたことがない。ある古代建築工事隊のベテラン技師はこう言う。「故宮は‘皇帝と同じく人々に大切にされて大きくなったもの’です。だから、修復の手を緩めることはできません。修復に少しでも怠慢があると、元の形が失われるからです。いったん形が崩れれば、生命力も失われてしまうでしょう」。

最近、巨額の資金を投入して、この100年間開放されていなかった部分を「重点的に修復し、一般に公開する」という情報が伝えられている。この取材の間にも、漆や金泥の塗り直し作業や、工事用の材木が積み上げられた古い建物の傍らで修復作業を進めている作業員の姿をあちらこちらで見かけた。数百年の風雨にさらされても、今も壮麗な姿を北京に横たえる故宮は、このような厳格で細やかな管理の下で、今後もその旺盛な生命力を保ち続けていくことだろう。

北京旅游网

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