中国元朝の演劇家関漢卿は中国の文学と演劇史上で最も偉大な作家のひとりである。その作品「窦娥冤」は700年もの間、繰り返し舞台化され、多くの外国語に訳され、世界各地に広く伝わっている。
関漢卿は13世紀の元朝の人で、頭が良くてユーモアがあり、博学で、豊かな才能をもつ。詩を書くほか、多くの楽器や中国将棋、狩猟も堪能である。関漢卿は長い間、都・大都に住んでいて、皇帝の病院に勤めたことがあるが、仕事に興味はなく、脚本の創作に熱心だった。当時「雑劇」という演劇が流行っていた。「雑劇」はその内容で民間の物語を豊かにし、社会の現実を反映した。高官や貴族から市民まで「雑劇」を好んで見ていた。関漢卿の作品は貴族の遊びではなく、一般の人々の苦痛を述べるものだった。
当時、元朝の政治は腐敗しており、社会は揺れ動いていた。階級矛盾や民族矛盾が深刻で、冤罪事件も多くあり、人々の日々の暮らしは悲惨なものであった。関漢卿は社会の底辺に暮らす人々に同情を寄せ、官職を辞めて、こうした人々の暮らしを理解し、それを演劇の形で表し、理想とする社会を描いた。
関漢卿は人々の苦しみをよく理解し、一般庶民の言葉を使いこなすと同時に高い教養も備えていた。これらのことは同氏の創作に条件となった。当時、役者は社会的地位が低かったが、関漢卿はこれらに拘らず、常に役者たちに接し、自ら監督し、役をこなすこともあった。その作品で自らの性格を「私は蒸しても、煮ても、打っても、炒めても変わらない銅の豆だ」と書いている。したがって、その作品は社会の現実を深刻に表すだけでなく、闘争精神に満ちていた。その作品の中の人物は苦しい暮らしをする一方で、正直で、勇気があり、反抗の精神を持っている。著名な悲劇「窦娥冤」はその代表作である。
「窦娥冤」は若い女性「窦娥」の悲惨な運命を語るものである。この演劇は数百年来ずっと人々から愛され、中国の10大悲劇のひとつとされる。また、多くの外国語に翻訳され、世界でも愛読されてきた。
関漢卿は存命中は演劇界のリーダーであった。当時、人民が圧迫に反抗することを励ましただけでなく、後代の脚本製作にも大きな影響を及ぼした。関漢卿は生涯あわせて67の脚本を作ったが、今でも残っているのは18作品である。典型的な人物を仕立て上げるのが得意で、人物の複雑な内面をうまく表している。古代の脚本の中で、これほど多くの人物を鮮明に書き上げた作品は他にないとされる。
関漢卿は中国の演劇と文学の史上で重要な地位を占め、元朝の演劇の創始者とされる。また世界文学史上でも高く評価され、「東洋のシェークスピア」と呼ばれる。