中国地方戯劇 二人転

2012-12-13

二人転(アーレンジュアン)は、中国の古典的な演劇である戯曲形式の一つ。小秧歌、双玩芸、蹦蹦、過口、双条辺曲、風柳、春歌、半班戯、東北地方戯とも呼ばれる。演劇形式は通常男女二人が鮮やかな服を着て、扇子やハンカチなどを持って、舞台で歌ったり、踊ったり、ユーモラスな会話と仕草をしたりする。

二人転は歩きながら歌う曲芸に属し、中国東北部の遼寧、吉林、黒龍江と内モンゴル東部の三盟一市(呼倫貝爾市、興安盟、通遼市、赤峰市)で流行している。二人転は300年の歴史がある伝統的芸能である。

日本の漫才とよく比較されるが、漫才より、もっと相声(シャンシェン)というものに近い。

歴史

二人転は東北大秧歌と河北の蓮花落から発展したものである。

清朝の時、東北にはほとんど漢族がおらず、満族、モンゴル族などの少数民族が一番多かった。清朝末期と民国初期、多くの漢族の人が山東、河北から東北に入った。二人転もその時東北に伝わったものである。

1953年4月、北京で行った第一回全国民間音楽舞踏大会で、東北代表団は正式に二人転を演出した。それから、二人転もだんだん有名になってきた。

流派

二人転は東北大秧歌を基にして、河北の蓮花落を受け入れて、踊り、しぐさ、歩きなども増えた。

昔は東、西、南、北の四つの流派があった。

東路は吉林市が中心、立ち回りをする。

西路は遼寧黒山県が中心、河北蓮花落に大きく影響された。

南路は遼寧営口市が中心、大秧歌に大きく影響され、歌いも踊りも重要。

北路は黒龍江の北大荒が中心、当地の民歌に影響された。

その後、各流派はほかの流派の長所を取り入れ、自分の短所を補って、今の二人転になった。今は東北の農村や町に広がっている。河北、内モンゴルの一部分の地区にもある。

芸術形式

二人転の演出形式は「単」、「双」、「群」、「戯」四つある。

「単」:「単出頭」を指す。一人がいくつかのキャラクターを演じること。「一人芝居」のようである。

「双」:「双玩芸」を指す。名実伴う二人転である。二人がいくつかのキャラクターを演じて、歌いながら踊る。

「群」:「群活児」を指す。グループで歌う、座って歌う、またはグループで踊ること。

「戯」:「拉場戯」を指す。小旦と小丑を主体にする東北民間の小戯。二人で演じるキャラクターも「二人戯」と呼ばれる。

二人転は最初男性の俳優に演じられ、一旦一丑に換装するものだった。その後、女優が出てから、男女に演じられるようになった。

二人転の表演手段は三つある。二人が丑と旦で化粧され話したり、掛け合いで歌ったり、踊ったりする;一人で踊ったり歌ったりして、単出頭とも呼ばれる;俳優が幾つかのキャラクターを演じて、歌って、拉場戯と呼ばれる。

表現手法は「四功一絶」がある。「四功」は「歌い、話し、仕草、踊り」、「一絶」はハンカチ、扇子、大板子、手玉子などの道具を使う技術。

名人

二人転が有名になったのは、喜劇役者の趙本山(ヂャオ・ベンシャン)が広めているからとも言える。毎年の春節(中国の旧正月)に春晩(春節聯歓晩会、日本の紅白歌戦のような番組)という番組がCCTVで放送されている。彼の小品(シャオピン)が毎年春晩で放送されているため、全国的によく知られるようになり、二人転もだんだんと有名になった。

現在、二人転や小品俳優として有名な小瀋陽や、潘長江、閻学晶などはほとんどが彼の弟子である。

代表作

「西厢記」、「包公断後」、「二叔母探病」、「回杯記」、「櫃中縁」、「連心曲」、「馬前泼水」、「梁賽花擀面」、「皇帝夢」、「攀親家」、「老漢背妻」、「単出頭」、「包公賠情」、「孫二娘開店」、「張郎休妻」、「禅宇寺」、「双赶集」、「送鶏還鶏」、「李翠蓮還魂」、「六月雪」、「劈山救母」、「紅月娥做夢」、「打竜袍」、「密建遊宫」、「劉金定探病」、「羅成算卦」、「大将名五更」、「春哥対花」、「張生遊寺」、「李桂香打柴」、「韓琪殺廟」、「小拝年」、「富贵九子図」、「遊西湖」、「楊八姉遊春」、「锯大缸」、「包公吊孝」、「馮奎売妻」、「楼台会」

最も有名なのは「藍橋」、「西厢」、「包公賠情」、「楊八姉遊春」、「紅月娥做夢」、「回杯記」、「二叔母探病」など。

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